朝は快晴

お仕事二日目。一生懸命な10代後半の生徒たちを長時間眺めていると、だんだん皆が自分の弟妹であるような気がしてくる、ということを知った。可愛いんだからもう。

それにしても会場では色んな事が起こる。昨日はひたすら爆睡する子がいたり、終了直前に顔が土気色になって吐き気を訴える子がいたりしたが、今日は終了直後に用紙の裏表を間違えて全部記入していたことに気付いた子というのがいて(勿論訂正不可能)、ショックで頭を抱えたのち突っ伏して動かなくなってしまった。私の歳になれば、それで1年間の行く末が変わったのだとしても、そのことによってより素晴らしい出会いやご縁なんかもあったりする、ということを知っているが、10代後半ではそれは無理だろう。あまりに落ち込んでいるのが可哀想で「これから色んないいこともあったりするんだから、また頑張んなさい」と励ましてあげたくなった(とはいえ、時間もないし規則上も微妙なので心の中でしか励ませなかったけれども)。

 

仕事が終わってから同期の先生(人生は四半世紀くらい先輩)と飲みに行った。民間から来られた方で、いろんな感想を述べられていたが、要約すれば彼の理想を満足した大学教員とは、社会的にインパクトのある仕事ができて、つまんない論文なんて絶対書かなくて、査定なしという現状でも慢心しない自律性があって、プレゼンが上手で、社交性も十分にあって、会議をさくさく進められて、事務能力もあって、しかもお洒落で服装と体型にも気を使えてる人、ということになる。ハードル高い。

私を評して「30代の人間は物凄く沢山知っているけど、まったく見たことのないタイプ。同世代とは話が合わないでしょう」と何度か仰るので、帰宅してから本当につくづく考えたのだが…確かに私は同世代の(特に女性の)標準からはきわめて外れているのだろう、と思うけれども、よく考えればそもそも同年の人たちとほとんど接さずにこの何年も生きてきた。空気読んで役割読んで、ってことをせずに会って話してうまくいくのは、多分最早L2の同期だけで、なかでもL2同期で気軽に連絡取れる女性というとAちゃんかFちゃんの二択で…(両方とも研究者だし…)。「話が合わない」なんて当然で、そもそも私は同い年の(研究者じゃない)日本人とまともに話したこと自体さいきんは殆ど無い。さらには、思えば中学くらいからそういうこと言われてた。つまりは、知らないから同化できない、同化できていないから標準から外れている、というそういう話なのだ。もっと言うと知る気もない。精神的には引きこもりなのだ。振舞いがどれほど社交的でも。

しかもこの話のミソは、仮に私がどれほど50代upの男性にうける素質を持っていようとも(総括すると、打てば響くの喋り、研究は新しい分野なのに伝統系文化に強い、文系理系何でもこい、いかにも育ちの良さそうな振舞い、酒に強いなど)、私は実際のところ30年ぽっちしか生きておらず、人生経験も知識もスペックも全然足りていないので、話すだけで実はけっこう青息吐息で、要するに年長者相手に喋るのも楽ではないということなのだ。実は、話が合ってないのは同年代だけではないのだ。向こうは私がだいたい何の話でもついてくるから大変comfortableみたいだが、その快適性は必ずしも対称でないということ。だって何を喋っていても向こうの掌の上でっせ。

全部をまとめると、ぼっち研究者はもっとお洒落しつつしっかりにこにこ仕事しましょう、ということになるのか。まぁ何ていうか、薄々気づいてたけど、このぼっち具合は当分解消されんわな。仕方ないしせいぜい仕事するか…。