暑いくらいの天気

それにしてもゼミでレポート課題を出させようとしたら3人欠席で、しかも出席者のうち2人はレポートの存在自体を忘れており、出した者のうち1人は(あれだけしつこく言ったにも関わらず)参考文献表をつけていないとは一体どういうことだ。ナメとったらあかんで。とにかく再提出だろうが何だろうが出してもらう。今日はとりあえず2通添削。出てきているものは学部生なりにまあまあ。

  

なんだか色々限界。共同研究者に、能力が足りず気概も足りず態度も悪い的なことを言われて、どこにも立つ瀬が見つからない。共同研究者の「教育的配慮」によって、専門でない部分も「きちんとできるまで勉強会発表」しているのだが、如何せん時間が割けないために遅々としてしか進まず、そのために私は忙しい共同研究者の時間を取っているのらしい。それにもかかわらず、私の担当分がひと段落した(というのは実は監修者の言なのだが)というのはありえないことであり、そのようなことを口にするとは、博士論文が大事だというのは理解するが要するに態度が悪いということらしい。私の能力がないのはもともとで、能力が伸びないのは気概が足りないからということだという理屈であるようだ。もう気概も努力も他の仕事に支障の出ないぎりぎりまで注ぎ込んでいて、というか現実には博士論文に支障が出つつあるのだが、それを訴えても最後まで聞いてもらえず「ただでさえ多忙なところをあなたのために時間を割いているのにその言い草はあんまりじゃないのか。どういうことか」と言われると、私はどうすればいいのか。授業もこの仕事も博士論文も事務も全部涼しい顔でやり遂げるほどの能力は私にはない。私には能力が欠けている。それは分かっているが、共同研究者は私のかろうじて持つ能力さえ根本的に信用していないと思う。直にそう言ったら被害妄想だときっと怒ってみせるだろうけど、そう感じる。追い詰められている。「これ以上は無理だ」というのを聞き入れてもらえないなら、私はどうすればいいのか。態度が悪いと言われないために振る舞うのにも疲れてきた。この人はひとを追い詰めることに対して何も思わないのだろうか。相手によっては病気になったり学校に出て来なくなったりするだろうと思うが、人死にが出ないとわからないのだろうか。それを勤務地で実体験すればあるいは変わったりするのだろうかもしれないけど、そうでなければこの人はきっと変わらないんだろうか。あと、監修者はきっと我々の間には立ってくれないだろう。

そういう話を、電話をとってくれたサークルの同期に夜中に一杯話してしまった。態度にセンシティブで、他人に厳しいというのは実父と同じであり、幼少よりの理不尽な諸々を思い出してしまうのもつらい。結局その辺がダメなかみ合い方をしているのかもしれない。苦手であることを叱られ、出来るまで口頭試問され、態度が悪いと言って怒られ、泣きながら、相手の言うことを全肯定してひたすら謝罪するのは結局幼いころから10年以上続いていた実父との関係性と同じものだ。