2020年の総括

今年の目標は「ギアをこまめに切り替える」だった。しかし、そんなことも言ってられないくらい、世界中で生活が激変した1年だった。主な出来事は以下の通り。

・断捨離と模様替え(2月) 子どもが生まれることになったので、寝室を入れ替え、要らないものをごっそり処分。エアコンも買いかえた。

・東京訪問(3月) 3月末の週末に東京と鎌倉を夫婦で訪れ、奨学金仲間のSさん夫婦とAさんと旧交を深め、鎌倉に行って義弟のレストランを訪問。今年の長距離移動はついにこれだけだった。数少ない家族以外との会食でもあった。

・オンラインで仕事(4月-) 緊急事態宣言が出て、急遽授業がすべてオンラインに移行した。これまで使ったことのないソフトなども使わねばならなかったり色んなことがあったけれども、通勤しなくて済んだのは妊婦としては有り難かった。

・取り寄せ生活(4月-) 外食が出来なくなったので、取り寄せやお持ちかえりをいろいろと手配した。近所の高級割烹とかのお弁当も食べたし、近所のフレンチのお惣菜や、スペイン料理屋の弁当、持ち帰りのブリトーなど。他に遠方の野菜や果物、水産品。ただでさえ出かけられる体調ではなかったので、色々持ち帰れて助かった。

・入院・出産(6月-7月) 5月中旬から血圧が上がりはじめ、妊娠高血圧症候群ということになり、6月に産休に入るなり入院して、厳戒態勢の隔離入院生活を送り、陣痛誘発からの緊急帝王切開で出産した。なかなか大変な体験だった。

・子どもの病気(7月-) 生まれた子どもは1万人に1人くらいの病気だったので、そのまま1ヵ月NICU入院になり、これもまた面会が難しかったりして大変だった。今ではさくさく針を刺して血糖値を測り、薬を飲ませられるようになった。

・産休生活(7月-9月) もともとヘモグロビン値が高い私ですら貧血で真っ白になった産後であった。1ヵ月くらいへろへろだったが、幸か不幸か子どもは手許におらず、母が8月末まで手伝いに来てくれて、母の手料理を食べて横になって少しずつ元気になった。母に感謝。

・翻訳関係の仕事(7月-) ずっと止まっていた翻訳を突如動かすことになり、産前6月と産後10月にひたすら進めたり、ずっと止まっていた別の翻訳が急に動いて11月から12月末までひたすらそのチェックに時間を取られたり(共訳者の仕事が問題で)という出来事があった。どうしてこうなった、というくらい仕事した。

・石(7月, 10月-) 高校時代の鉱物趣味に復帰してしまった。踊れないし、動けない、外出できない、あまりにもうるおいがない生活で、インターネットで石を購入したり、石好きの人たちとやりとりしたりしている。10月には一度だけミネラルショーにも行った。昔より経済力があるので危ない(笑) 

・産休・育休から復帰(11月) 11月に育休から復帰した。いろんな人に早いと驚かれた。私のかわりにGが育休を取ってくれているが、お蔭様で二人で育児できて助かっている。

 

今年はもともと出産を控えているということで、どれほど生活が変化し制限されることかと身構えていたのだが、実際に年が明けてみるとそれどころではなく、新型肺炎が海外から入ってきて蔓延しはじめ、自分だけでなく世界中の人が行動制限されることになってしまった。外食ができないとかそういうことは自分たちだけではないので諦めもついたが、両親教室も何もないのは困ったし、旅行にもどこにも行けなかったのは残念ではあった(その辺のことはnoteに書いた)。何より、妊娠高血圧で面会制限のなか管理下の生活を送るのはなかなか大変だったし、出産は考えられんくらいしんどかった。産後はKが入院するし、とにかくもう思うようにいかないことだらけだったが、それでも私もKも強運の持ち主だったので、この1年を生きて乗り切れたのだろうと思う。Kはお蔭様で、小さく生まれたけれどもすくすく大きくなっている。まだ薬は飲んでいるが、経過は良くてちょっとほっとしているところ。ミルクはよく飲むし、夜はよく寝るので、私もよく寝ることができている。

出産と育児のこと以外では、基本的には仕事と家事だけしていたと思う。踊りも発表会がなくなったし(それでも産前産後あわせて半年くらいはレッスンも行ったが)、年末にはまた感染拡大してレッスンも心理的に行きづらくなってしまった。仕事については「とりあえず来年は私『が』何かを肩代わりすることはないだろう」と去年の総括に書いたのだが、ところがどっこい、授業以外のことでは何かと仕事が降ってきて、MFICUの中でも小特集原稿を書いたし、産後すぐに事典原稿の直しもしたし、何かしらんが忙しいという共訳者の代わりに原稿チェックもしたし、がんがん非常勤の依頼は来るし、帝王切開での産後6か月で病児抱えてます、みたいなことは誰も慮らないのだなあ、ということがよく分かった。ただ、これはGが育休を取ってくれていたから可能だったことであって、普通には無理だったろうと思うし、実際たしょう体に無理もあったような気がする。

自分の実家にも行けないし、祖父母にも会いに行けないというのが個人的にはすごくつらい1年でもあった。祖父母とはときどき電話していたけれども、COVIDがなければもっと会いに行っていたのに…。祖父母は高齢だから会う機会をできるだけ持ちたいけど、でも病気をうつしては大変なことになる、というのも事実なので、なかなかどうにもならない。ほかにも職場ではK先生が亡くなり、恩師のI先生はご病気ということで、COVID以外にも病はあるし人は死ぬということを考えずにはいられない年でもあった。

職場ではCOVID風邪派がトップにいるせいで、色々難儀な調整が発生したりなどしているが、とりあえず乗り切っているという感じ。秋の講義が非常勤のH先生に断られたせいで、調整に苦労してストレスに苦しんだものの不開講になって助かった…これで随分命拾いした気がする。ゼミもどうなることかと思ったが、O先生に助けて頂いたのと、Slackが便利なのとで、ずいぶんスムーズに復帰することができた。あと、産休とオンライン化があったことで、授業内容を少しリフレッシュできそうな気がする。やはり少し授業から離れてみることも大事なのかも。

そんなわけで今年の「初めて」はあまり思いつかない。出産と育児はぜんぶ初めてなので、まあそれでもよいのだが、強いて言えば、秋くらいから外出できない踊れないストレスを古い鉱物趣味に発散している一環で、Twitterのアカウントを作ったことくらいか。鉱物趣味は今回は原石ではなくルースの方で。ストレスも相まってけっこう散財している。経済を回しているのでよいということにしたい。あとは仕事でSlackとかZoomとか使ったことくらい。

かくして、フラストレーションがたまることも色々あったけれども、母に助けてもらえたのは嬉しかったし、子どもは可愛いし、何より生きて全員で年を越せるということで、それだけでこの1年は満点!ということにしたい。来年はKの保育園も始まるし、Gの育休も終わるし、まだまだCOVIDの流行は続きそうだし、それこそ無理せず生存第一で過ごすしかないだろう。詰まっていた成果物を出して、新書の構成でも考えて、病気にならず仕事を乗り切る、それだけ。来年も低出力で少しずつ進みたい。というわけで、来年の目標は「皆で生きて来年を迎える」。どうぞよろしくお願いします。