2021年の総括

あまりにも忙しい1年だった。生活と仕事に追われて、本当にそれだけで、その他は気絶していたみたいにすら感じるような1年だった。

・K入院(3月) 生まれたときから飲んでいた薬をついにやめるということで、小児科病棟に入院して24時間測定をする入院を3泊4日。コロナ禍の小児科病棟は非常に厳しい環境だということがよくわかった。K本人はご機嫌であった。

・国際シンポジウム登壇(3月) 面識のない研究者から登壇を頼まれて、H県のK大でハイブリッドの国際シンポジウムに登壇した。英国の先生からけっこう高い評価を受けたのはよかったが、国内の登壇者とか研究者たちが非常に閉鎖的というか、何か居ないような扱いをされて、日本のこの分野はこういうボーイズクラブというか、こういう閉鎖的な扱いをするからいつまでたっても女性研究者が増えないのだろうな、と率直に思った。次に何か呼ばれても行かないと思う。

・Kが保育園に入園(4月) 近くの保育園にKが入園した。初日からまったく泣かず、社長のように悠々と過ごしていたらしい。ここまでのところ、いちども行き渋りしたこともなく、ご機嫌に楽しく保育園に通っている。環境も良くて、この園にご縁があってよかったなと思った。

・教科書の翻訳出版(4月) 2017年に動き出した企画だが、ようやく出版にこぎつけた。何ていうのか、訳の校正とか索引の作成とかがが全体的にひどい作業だった…。そこそこ利用されているのは非常に良かったが、もっとどうにかならなかったのかと思うことはある。

・事典出版(5月) 編集幹事を引き受けていた事典が出版となった。3月は編集幹事のうち4名で、地獄の校正と索引製作をやった。しんどい作業ではあったが、ベテランの先生方と仕事できたのはとても勉強になった。学会でシンポジウム企画をやったのも面白かった。

・オンライン学会の事務(5月) またしても実行委員をやった。色々マニュアルを作ったり、ひたすら当日のスタッフをやったり…。まあいつものことといえばいつものことか。

・非常勤いろいろ(8月~) 8月に集中講義、後期にレギュラー1コマ、オンライン1コマで合計3校で非常勤した。本当はもう1コマ減らしたかったが、I先生との約束だったのでがんばった。

・対談(8月) 私の本を読んだ方(Mさん)から連絡が来て、某専門誌でレジェンドの先生を交えて対談をすることになった。これはしっかり準備をせねばということで、だいぶ色々と資料を読んでから臨んだ(正解だった)。なかなか楽しい対談になってよかった。

・踊り復帰(8月) Kが保育園でもらってくる熱などもやっと落ち着いたので、8月からレッスンに週1回で復帰した。体を動かすとやはり楽しい!

・もう一人(9月~) 第2子を授かって来年出産ということになった。

 

本当にもうあまりにも忙しかった。去年の11月からほとんど休まず、そのまま1年が終わってしまった。あまりにも働いている。余暇にまるで時間が割けないし、それどころか家族のことも喫緊のこと以外は後回しになるくらい忙しかった。コロナで在宅勤務が多かったのにこの余裕のなさ。お出かけも旅行も帰省も外食もできず、ひたすら毎日毎日仕事の締切と育児にだけ追われる日々。生活に余白が無さすぎて、心が本当にすさむレベルであった。とにかく、子どもがいて自由に動けないところに、エクストラの仕事が来て、しかもその仕事が業績としては軒並みゼロ査定。教科書の翻訳も、事典も、学会の実行委員会もぜんぶゼロ査定。そのうえ、とにかく非常勤が負担であった。とりわけ、母校の非常勤が辛かった。7月にI先生が亡くなられたことをうけて引き受けた非常勤なので今年度はやり遂げるが、とにかくストレスが多い(主に、受け入れのK先生の差配のせいだったと思う)。あの形式の講義を2回生に開いて50人以上というのは、どう考えても絶対に無理がある。これが無ければもうちょっと楽だっただろうに…。あと、色んな手配のなかで、書類をちゃんと書かない人、締切をまるで無視する人が本当に多くて、ギリギリのスケジュールで回しているのにそこでこちらが無理をさせられていら立ちが募った。一方で、事典の仕事は編集長は本当にちゃんとした人だけを集めたんだなあ…と心底よくわかった。仕事は誰かとやる場合は誰とやるかが非常に重要。I先生に頼まれた仕事だけはどうにかするが、これから先はちゃんとしていない人とは仕事しないと心に決めた。ただでさえ余裕がないのにフォローさせられるのは無理である。あと、個人的には忙しくて心がすさむと、授業のほうにもあまり余裕がなくなってくる。もっと余裕をもって楽しく授業したいのだが…色々生活あるいは仕事の仕方について改善をしないといけないのかもしれない。

楽しみは何だったかなと思うと…季節のいいときは週末ごとに子どもと植物園に行ったこととか、ちょいちょいリングなどをお迎えしたこととか。それくらいかなという感じ。

そして今年の「初めて」といえば、小児科での付き添い入院とか、仕事としての対談とか、あとは海外から石を買って関税を払ったとか、Kの誕生日のある7月に初めて家族写真を撮ったとか、そういうことくらいかなと思う。あとは、主な出来事には出てないけれども、マンションを買うことにしたとか、ローンを組むことになったとかも初めてに類する出来事かもしれない。そういうけっこう大きな決断もあったのだが、その記憶がすぐ飛ぶくらいは忙しかったということになろうかと思う。

「皆で生きて来年を迎える」というのが目標であったが、とりあえずそれはどうにかなった。来年の目標は…「あまり仕事は引き受けない」。死活問題かもしれない。仕事しすぎだと元同期や家族やいろんな人に言われてちょっとショックだったので。しかも来年はもう一人家族が増えそうで、来年後半は2人育児に引っ越しという巨大タスクが控えているということになる。頑張らずにこなすつもりでないと、頑張る前提だとたぶんもたない。頑張らずにやりたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。