雨降らなかった

朝からとにかく寸暇を惜しんで翻訳を進める。お昼はGのチャーハンを頂き、支度をしてMさんの通夜式へ。Gの実家の近くなので、交通についてアドバイスしてもらった。今日は通夜式の受付を手伝う約束だったので早めに行き、奥様に会って大学からの弔慰金も渡す。

あまりにもいつも通りでびっくりした。インナーもジャケットも表情も。あまりにもいつも通り。Mさん、なんでですか、と問いかけたくなるような感じ。

奥様(大学で出会って以来のパートナーであられる)と旧友のかたが、故人を象徴する品をいろいろ飾っておられた。もちろん大きな立派なカメラは正面に。奥様曰く正月だけ飲んでいいことにしていたラフロイグの瓶、奥様が20歳頃の頃に作ってさしあげたカメラを入れるための袋(いまはパソコンを入れるためのもの)、ツァイスのリーフレット、懐中時計、ミニカー、ラークとジッポー、論文の抜き刷り、そして著書。

単身赴任されている奥様とは毎日電話で話しておられたそうで、先週火曜に私が故人に会ったのも「電話でききました。S女史に会ったって。いつもS女史、女史と言ってました」とご存知だったし、私が何年も前に学会賞をとったのも、そのとき写真を撮ってもらったのもご存知だった。その写真は故人がかつてメールで送ってくれたのだった。
私は知らなかったが、故人は全然事務とかパソコンとかができないひとだったそうで、ぜんぶ奥様がされていたそうだった。奥様とは初めて会ったが、故人ととても雰囲気が似ていると感じた。故人も何度も奥様の話をしていたことが思い出されるし、どこをどうとってもきっととても仲良し夫婦だったのだろう、と確信できる、夫婦のあいだの絆や愛情をそこここに感じることができる斎場だった。

通夜式が終わって殆どの人が帰ってから、故人に最後のあいさつをして、奥様と話した。とくに事典の原稿の話。どこまで進んでいるか聞いて、5月の連休のときには書いていて私もみた、と奥様がおっしゃって、画像を探したと奥様が話したところで、先週の火曜に故人と何を話したのかを突如完全に思い出した。事典の原稿について、カメラオブスキュラの絵を使いたいと考えている、海外のWikipediaに合った絵だが出典がわからない、という話。私も探してみますし、○善に頼めば権利関係は大丈夫ですから、相談してください、という話をしたのだ。それがMさんとの最後の会話だった。そうだ、その話をしました!と故人の棺の前で声をあげてしまった。

故人はなかなか個性的な方で、こちらにも元気がないと話し込めないというか、話し込むのにパワーが要る方ではあったけれども、大変な趣味人であられたし、思えばもっといろんなことを話せる機会があればよかった。まあ故人が私を女史扱いしていたから(笑)話しづらいこともあったのかもしれないけど、でも思い出せば絶対アニエスべーの服が似合うはずだ、手足が長いのだから、フランスのああいった服がきっと似合うはずとお勧めしてくださったこととか、学会や研究会でスナップをとっておられたこととか、ちょっとしたことを思い出す。私も故人に元気を出してほしくていろんなお仕事をお願いしていたのだったと思う。いろんな人に愛された方だった。もう直接はお会いできないけれども、どうか安らかに。