夕方まで快晴

本日は祖父母の家を訪問。グラノーラで朝食にして、電車を乗り継ぎ、スムーズに移動。暑いくらいの天気。手土産はこの季節はいつも鮎菓子。従妹は期待していたらしい。祖父はやっぱりいつもの「旬のもんやからな」という台詞を言っていた。昼食は柿の葉寿司だった。Gの中国写真を見せたり、祖母が戦時中、戦争に負け始めてから学校で紀州弁を禁止されたという話をきいたり、祖父が米国でとっさの一言で「何!?」とか日本語で言ってしまうけどジェスチャー(と表情)でだいたい通じたという話を聞いたりなど。あと、祖父の医学部時代の同期に中国からの留学生がいて、戦後中国に帰っていたけれども、文化大革命にあって日本になんとか1年戻ってきて、また中国に戻ったけれどもやっぱり日本に帰ってきて、最終的には熊野の診療所に勤めていたという話もきいた。やはり文化大革命は大変だったようだ。昼下がりから、さくらんぼの様子を見に行く。木は3本あるが、山の2本のうちは1本がよく熟していて、西の1本は実は大きいけどあともう1日という感じだった。Gと従弟と祖父母と5人でちょっととったけど、熟すとあっという間に鳥に食べられてしまうし、Gと2人でいくらか収穫させてもらった。あとできけばGはさくらんぼが好物だったらしい。

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夕方には、祖母のつくったアスパラガス、新玉ねぎとエンドウ豆、スナップエンドウをたっぷり、柿の葉寿司の折詰と採ったさくらんぼももらって、挨拶して帰路についた。祖母はいつもの「おあいそなしでした」、祖父は「また懲りずに来てな」という一言。帰りの電車でソウル在住フランス人親子5人に席を譲った。5か月の赤ちゃんが可愛い。赤ちゃんがぐずるのを、私が持っていた(!)ぬいぐるみであやしたら大ウケした。また徳をつんだ(笑)。日本旅行がいい思い出になってくれればいいのだが。帰宅してぬいぐるみを洗濯し、柿の葉寿司、アスパラガスの炒め物で夕食にした。祖母が朝採ったばかりのアスパラガスはジューシーで絶品であった。