冷え込んだ

どうも疲れがたまっている。午前中は寝たおしたりなど。その後、洗濯と荷造り。

午後から外出。昨年度まで非常勤に行っていたS大学で、いつも講師室でご一緒していた染織デザインのS先生に誘って頂いて、年越し蕎麦会に出かけた。版画界の第一人者Tさんが主催されている会で、早い話が京都の工芸・絵画・デザイン界を中心としたサロンであった。上等な鯖寿司をつまみ、お蕎麦とお酒を頂きながら、社交し楽しくお喋りしながら人脈が広がっていくという会。会場のお屋敷は隅から隅まで本当にセンスがよくて、襖に張った紙なんかどれも違う摺りで、床の間にはVogueの表紙を飾ったイラストレータの絵が表装されてかけられており、またそれを話題に会話が進むという寸法。この世に「サロン」というのは本当に実在するのだと実感した。以前、某有名民間企業から移って来られたM先生が「きょうびの日本人経営者は教養がないから、特に欧州では『サロン』での会話にまったくついていけず、色々な機会を逃している。今の若い人が教養を軽視しているのは実は大変にまずい」と仰っていたが、サロンというのは実に自分の知識や教養や経験を試される場であった。高度な教養と社交スキル、そして精神のくつろぎと余裕が必要である。たいへん勉強になった。というわけで、今までお会いしたことのない方々にたくさんお会いして、楽しいひと時をすごしてから、S先生とご一緒に辞去。

S先生とも色んなお話をしたが、こちらも本当に勉強になった。イヴ・サンローランプレタポルテのお話(サンローランがセーヌ川左岸に既製服のお店を開くまで、フランス語でレディメイドをあらわす「プレタポルテ」という言葉はなかった)とか、山本耀司さんのお話とか、三宅一生さんが「黒人の肌の色には四種類ある」と仰っていたお話とか、高田賢三さんのお話。先生はちょうど同年代で、彼らとは仕事を通して長年の付き合いなのらしい。高田さんが仲間2人と渡仏されて、その方が京都でものすごく安い生地見本を探していて、それが丹波木綿で店先に転がっているのをS先生はご存知で、それを紹介したら一反風呂敷にいっぱい包んで全部買ってフランスに持って帰られて、それがELLEの表紙を飾ることになり…などなど、というお話。ただ、これは自慢話とかそういうのではなくて、1960年代にはそういう「ちょっと世間を驚かせてやろう」とか「目立ってやろう」とかいう野心を色んな人が持っていて、その中から「モード」というものが出てきたのだが、もう今は「モード」という時代ではないでしょう、というお話なのだった。日本ではあらゆる服が、人ごみにまぎれこんでしまうための服になっている、目立たないための服になっている、デモには参加するけれどもデモの先頭にはたたない、デモの中の一人になろうとすることしかしない、そういう服しか着ないようになってしまった。S先生いわく、鷲田先生が仰るには、人間の内面というものはゆるゆるしたものであって、逆に服によってそれが規定されるという。ぱりっとしたいとき、ゆるゆるとしたほうが自分が表現できるとき、可愛らしいところを見せたいとき、きりっとしたいとき、それぞれにあった、それぞれを表出させるときの服がある、ユニクロのヒートテックは確かに実用的で自分も使うけれども、でも自分は決してユニクロのジャケットとパンツで外を歩くことはしようとは思わない、とS先生は仰っるのだった。

S先生はいつ講師室でお見かけしても、シンプルなのに端々が物凄くお洒落で、恐らく私が今までの人生で出会った人の中で、最も服装のセンスが素晴らしい方である。実はS先生がそういったフランスのモード関係のお仕事などもされていたとはあまり知らなかったのだが、今日色んな話をきいて、内心びっくりかつ納得、という感じだった。先生は今日も大変に素敵なジャケットをお召しだった。すごく真似したいのだけど、修行の足りない私にはまだまだとうてい無理な境地であった。私も来年はもうちょっとお洒落な服を着よう、と思う。難しいけど。

帰宅してから荷物をまとめて実家へ。実家では両親とローストビーフなどを食して、一年の終わりを祝い、母と政治談議をしながら年明け。良いお年を。