さわやか五月

無意味に6時に目が覚める学会2日目。朝からいくつか研究発表を聞き、昼休みは指導教官と博士論文に関する確認をした。スケジュール的には、7月中旬までに全体の骨格とだいたいのディティール及び結論をまとめた上で学会支部例会で発表60分+討論、10月上旬までに全部書きあげて一度提出、直したうえで12月上旬に再提出とのこと。おぉ……これは大変なスケジュール…。ぴしりと「うちは1年猶予を持たせるとか、そういうことは原則やりませんから」と言われ、「はい勿論ですよね先生…」と答えるほかない。まぁ結局、できるできないではなく、やる。それだけ。

分かってはいたことだが、問題は論文のオチをどうやってつけるか。あんまり矮小な論文だと通らないし、大風呂敷過ぎると書きあげられない。たいへんだがやるしかないわな。Tはもう置いといて博士論文やりなさいと言われた。まったくその通り、ではあるのだが、実は博士論文でTを扱いまくる予定なので、Tは置いとけないのであった。

午後は四日市ぜんそくに関するシンポジウムだった。有名な方がパネリストにおいでになっていた。内容の濃い、充実のシンポジウムだった。私が気になったのは、企業側、ことに企業で働いていた末端社員の関わりというのがどのように総括されているのだろうか、ということであった。もちろん今回のシンポジウムで扱える範囲でないことは百も承知であって、提題者の研究全体に対する疑問である(あとで本人にも言ったけど)。公害に関しては、被害者 vs 加害企業という構図がたいへんに多い。でも企業といっても漠然とした総体という側面だけではないはずで、そこで働いていた(地元の)人たちというのもいて、その人たちだって市民だったはずだ。それなのにそんなことになった、それはどういうことなのか、何故なのか、というのを総括しなければ、公害という事態を予防する「教訓」の全体を組み上げられないのではないかと常々思っていた。この3月いっぱいまでやっていた廃棄物処理関係の仕事の中でも公害調停に関する資料を整理しながら思っていたことだし、今回の原発事故における東電の位置づけを見ていて思うことでもある。

シンポジウムが終わってから、ひょんなことで学会会長に初めて自己紹介した。夜は若手飲み会とやらに参加。ようするにお財布係である。(現実問題として)年齢実力不相応に就職した人間としては、若手飲み会のお財布係は楽しい義務だ。思えば昨日は、2年しか非常勤をやっていないのか、俺は7年もやった、見渡せば40歳過ぎて就職してない人が沢山いるのに…ときっちり絡まれたものだが、まぁそれは仕方ない。今日は、東の方々と交流したり、亀の話をしたり、「静岡県は駿河湾を所有し、富士山山頂ももちろん静岡のものである。ただし静岡の人間は心が寛大なので富士山の裏側は山梨に貸しているのである」という静岡の真実を学んだりなど。帰りの特急では、博士論文完成に至るロードマップを作る準備などした。