すごく雨降った

朝からたっぷり雨がふっていた。10時からヘアセットしてもらった。夜会巻きふう。雨なので和装は諦めて洋装にした。ベージュのスーツに、セリーヌのピンクのスカーフを巻いた。フライトアテンダント風味。今日は一日「スッチーみたい!」と言われ続けることになった。

1時半には登校して、3時に集合して書類を受け取り、3時半から学位授与式だった。ゼミ1期生の卒業式。学位授与は3回ほどされたけど、今回はじめて授与した。それにしても今日の卒業式にも、卒業予定の学生が一人来ないのだった。最後まで、1度も全員集まることがなかった(!)ゼミだった。最初の一人(U君)の分だけ読みあげて、あとは「おめでとうございます!」と言いながらあっさり渡していった。いま思えば全員分読んでもよかったのかもしれないけど、まあその時はそういう気分であった。ゼミ生たちは連名でプリザーブドフラワーを贈ってくれた。「授業に抱えていってくれてもいいですよ」「いや流石にそれは(笑)」みたいな会話をした。SさんSくんあたりが中心になって手配してくれたとのことのよう。とってもきれい。

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とにかく生きていればどうにかなるので、元気で活躍してほしい、大変で辛いこともおそらくあるだろうけれども、そういうことになったら、とりあえずまずはご飯食べて深呼吸して目の前のことをやる、ご飯食べられないくらいのことになったら話聞いたるからいつでも言うておいで、と言った。皆元気で、もちろん全員私より長生きして、人生を楽しんで活躍してほしい。

この際なので覚書しておく。思えばこの一期生とのゼミは、私にとっては本当に難しいものだった。着任前の時点でプレゼミ。このとき既に学生たちのほうが学校に慣れていた状態だったし、それ以来私はずっと彼ら・彼女らに遠慮なく量られている気がしていた(実際そうだっただろうと思う、皆の長所のひとつでもある)。私も彼ら・彼女らも「ゼミ」というのが初めてで、何をどうしていいか分からなかった。色々不運な偶然も重なって(しかも私の個人主義のせいもあり)、一期生たちはお互いに親睦する機会を延々と逸し……まぁそれは皆がとても個性的で自分の世界をしっかり持っていたことの反映でもあったのだけれども、とにかく皆がお互いを別世界の住人だとでも思っているのではないかというほどのゼミだった(今日「卒業式でなんか一番仲良くなったような…」という衝撃発言が出るくらい)。グループワークが成立せず、3年の夏くらいに「これは私にはどうしようもない」と思い、個人指導にほぼ完全に切り替えてからはちょっと雰囲気がよくなり、4年になってから色々お菓子持ってきたり英語サブゼミをやったりして、一緒に過ごす時間が増えてからは色んな事を話せるようになったように思う。私の足りない能力で、やれるだけのことはやったと思うけれども、それでも色んなところに思い残すことはある。もっと横のつながりを作ってやれなかっただろうかとか、もっと色々学術的なことも教えられたのかもしれないとか。実際はできなかったのだろうけれども。私としては、先生-学生の関係がなかなか作れなくて本当に迷った。いま思えば、指導教官-学部生というよりも、若い先生-博士院生くらいの気安さ(学生のほうが)。それは有難いことなんだろうとも思うが、とにかく自分が常々「量られているなあ」と感じることによって、振舞い方にものすごく悩みが生じていたように思う。本当に物怖じしない学生たちだった。何でも口に出して言ってくるし(私の薫陶が効いた結果という可能性は重々あるが・爆)。下級生の頃に授業を持っていなかったということが大きいのかもしれないけど。一番のネックは、私自身に一期生に対する思い入れがあることだった。何のかんので特別だったのだと思う(二期生は二期生で特別だけどそれはそれ)。でもそういう態度はよくないし、学生に入れ込みすぎるのはお互いに百害あって一利なし、(元々説教くさいだけに)あまり押しつけがましいことも言いたくない、その中でどういう指導をほどこしていくか、というのは本当に難しかった。毎週のゼミがおわるとほっとしたものだった。みんな特別すぎて、真正面に向かい合って話すのにかなり勇気が要るくらいの存在だった。本当は。それをおくびにも出さないようにするというのが、私にとっては大切なことで、難しくてつらかった。皆、本人たちなりにしっかりしていて真剣で、学生生活が楽しそうで、羨ましかった。私も色々学ばせてもらった。生きる時代が違うということ、老いということ、経験と可能性のトレードオフ、色んなことを考えた。論文指導をしていて、この春先まで自分の教官に言われてたことをそのまま言ってるのに気付いた時には、京都に向かって土下座しそうになったけど。

足りないスペックをフル回転でなんとかゼミをこなしていた私を、先生と呼んでくれて、お花まで贈ってくれるという有難さ。お花を見て「わあ、ありがとう」とその場でお礼を言ったけれども、研究室に持ち帰ってしみじみ見ていると、こんなん貰えるほどのことができたやろうか、この2年間に私は何ができたやろうかと思って、嬉しくも寂しくも申し訳ない気もする有難さというか、ものすごく複雑な気持ちが湧き上がってきて、たまらない気分になった。みんな大人やから、私がもうちょっとどうこう出来たかもしれないということ自体おこがましいのかもしれんけど。プリザーブドフラワーやから、研究室に置いといたらずっともつなあ。死んだときにお花の部分がまだ残ってたら、取りだして棺に入れてもらおうと思います。

皆の幸運を祈ります。