芸術は精神の食べ物

河原町行き阪急電車の優先座席に現内閣閣僚が座っており、「このままだと原発対応で予算が…」「この際、円をたくさん刷りましょうよ」「しかしそうするとインフレが」「その時はデノミするということで」「そうですね!!」という会話を交わしているのを耳にし、「マジで!? それは流石にヤバい…」と思ったところで目が覚めた。夢で良かったが、目が覚めたのが5時半だったのであまり嬉しくなかった。

今日は休日ということにしていたので、とりあえず家事した。アイロンかけ、片付け、掃除、買い出し、常備菜作り置き(長葱の炒め煮、いんげんの胡麻和え等)。祖父が亡くなり祖母が施設に入って無人になった実家の離れの台所から、かつてずっと祖母が使っていた小さいすり鉢とすりこぎを京都に持ち出してきたので、それを使って久々に胡麻をすった。不意に自分が幼いころ曾祖母と祖父と祖母のいる(当時の)母屋の台所で、日曜の夕方などに、胡麻をすったり鰹節を削ったりする手伝いをしていたことを思い出した。長いこと忘れていたが、胡麻をするぷちぷちした感触で思いだした。体の感覚というのは言葉よりも強力だ。

 

そこから更に自転車に乗って買い出しに出かけ、その足で夕方から左京区の某カフェに、いけばなと絵画のライブイベントを見に行った。研究室でお世話になっていたI先輩(いけばなの先生でもある)が花をいけ、それを見ながら若手の画家さんが絵をお描きになるのだというので。先輩が花をいけるところも、画家さんが絵を描かはるところも初めて見たが、目が釘付けになった。あんなになにげない動作の繰り返しで、秩序のないものに秩序とバランスを与えるなんて、まるで魔法使いみたいだった。外はまだ肌寒いのに、水盤の上とキャンバスの上には春が噴き出していた…。けっきょく夕方6時から夜10時頃までたっぷり4時間も鑑賞してしまった…文字通り、ものすごく充実した花見をした気分で、気持ちが満たされて気力まで充実。やはり芸術というのは精神の食べ物だと思う。しかもカフェのカレーがものすごく丁寧な作りで美味しくて、おなかまで満たされたので言うことなし。声をかけて頂いたI先輩に感謝です。