晴れた!

少年老い易く学成り難し。

一昨日の試問では、先生方の知識の広さに圧倒された。私の論文に次々とツッコミを入れ、この知識を持ってすれば私の研究したいことなんてするする分かるんではないかと思うほどだったが、先生は「自分にはこの研究は無理だ」と言う。「自分の人生にはもう時間が残されていない」と。ちなみに私のおおもとの問題意識は審査委員全員が苦笑いするほど大きいものだったのだが「君がこれをやりきるのも、無理だよ」と言われた。試問で実感したがまことにその通りである。研究をするする進めるには私にはスペックが足りない。私のスペックが足りる頃には私の人生は終わりに近付いている、という寸法。

昨日の2つ目の会議のあとの飲みで、私が「歴史テキストを同じのも何回も何十回もじっくり読んで、さらに他に行って戻って来ると更に新たな発見がある」という話をすると、実務系から来た先生が「そんなことしてたら、めちゃめちゃ時間かかって他のこと何にもできないじゃん!」と仰る。これもまことにその通りで、だから私は研究しかしてないのだと思うし、私の先生の人生には「時間が残されていない」のだし、論文を書いて後進に託すことに意味があるのだと思う。

ものすごくでかい山のごときbody of knowledgeに、ひとつひとつ小指の先ほどの小石を積むようなものでしかないのだなあ。研究というものは。

本日引きこもりデー。大物を洗濯。M先生I先生に連絡。N大学のシラバス作成→送信。このさき数日の食事の作り置き。ここまではスムーズにやったのに、先日腹いせに注文した娯楽用本が一式届いてしまい、うっかり読みふけってしまった。そのまま深夜まで。何やってるんだ私は…。