風の冷たい晴れ

朝から地元に帰った。明治6年創立の母校小学校が、統廃合により移転するとのことで、お別れの会があったため。三十数年前に分校した先に移転する。学校名も校歌も一応残るけれども、139年この地にあった学校は無くなってしまうのであった。祖父も大叔父も、父も叔母も、私も妹も通ったのに。でも校舎は築50年を過ぎて耐震化工事もできないほど老朽化してるし、うちの校区は一軒一軒の家がでかいうえに、とてつもなく高齢化が進んでるから立て替えるほどの児童数はないのだった。ただ、見学させてもらうと校舎も廊下も水道も鉄棒も音楽室の貼り紙も何もかも20年前と変わらず、やっぱり子どもの学習と安全のためには移転は仕方ないかな、とも思った。子どもらには、新しい校地で伸び伸びやってもらうのがよいのだろう。校区の端からだと子どもの足だと30分くらいかかると思うけど。幸い(?)我が家の前の街道が通学路指定されたし、府道と違って車が少ないから安心。

セレモニーは4時間がかりで、寒かったけど面白かった。同級生9人(42人中)も集まったし。もと在学生(先輩)のほっしゃん。氏からのビデオレターもあったり。私が5年生の時に復活した鼓笛隊もまだ健在で(しかもマーチングのリズムも同じ)、何が度肝を抜かれたといって鼓笛隊での校歌伴奏の楽譜、当時5年生の私(!)が清書したのを未だにコピーして使ってるらしい。22年前ですよ? どういうこと? ほんまびっくりするわ……黒歴史健在というべきか。いや、22年生き残るくらいだから白歴史なのか? ちなみに鼓笛隊の伝統は移転先まで持って行くそうです。音楽の先生に申し出て「あの楽譜、私が書いたっぽいんですけど…」と言ったらびっくりして喜んでくださった。

同級生の息子がちょうど5年生で、一芸披露で舞台に出ていたのだけど、横顔とかが父親の小学生時代にそっくりで、同級生一同吹いた。昔は、親にとって小学生時代なんて遠い昔のはずと思ってたけど、親の年代になるとそうでもないんやなあ。

会が終わってからは、同級生が経営する居酒屋で同窓会した。昔の思い出話を色々。私がまったく覚えていない逸話を暴露される。4年生の頃、放課後に居残りでたったひとり宿題をやらされていたW君は、校庭でドッジボールをしていた私に「ねえ、さっき前の窓のところにおかっぱの女の子おらんかった?」と素で聞かれて、心の底からびびったらしい。「霊感あるの? いっぺんこの話しようと思ってたんやけど」と二十数年ごしで聞かれた。え。私、零感ですけど。。。全然覚えてないなー。調子よくびびらしてやろうと思って言ったとかじゃないのかなあ。それとも本当に見たのかなあ。とにかく校舎は我々の在学時でも既に築30年を超えて古びていて、色々と怪談があったのだった。一人だと思いださないことでも、皆で喋ってると思いだすのが不思議だった。

139年間の児童の数だけ、思い出のある校地なのだなあと思う。学校歯科医の先生は、死んだ私の祖父とたしか同級で、もちろん卒業生で、今年度まで60年以上にわたって学校歯科医をされていたのだった。もう80代後半。セレモニーにもいらしていて、感謝状を受けられて、お元気にされていて安心した。校医の内科の先生も卒業生。市長も卒業生。皆、寂しいと思ってるだろうとおもう。

あと数年で、出身中学も統廃合になる(こちらは正真正銘、学校名も校舎も校歌もなくなる)ので、また集まらなければなあ。