夜さむい

朝から出勤して、授業準備やらアメリカにメールやら。うーん、結果的にいろいろ恩売りすぎたか。なかなかやる気が出ないので、ToDoリストを無理繰り作って作業など。

昼過ぎにゼミ生が質問にやってきた。本を吟味したり、資料室を案内したりなど。3回生の10月から卒論準備とか、めっちゃやる気あるな…。やっぱ高校で卒論書いた子は危機感が違うと思う。

4コマ目は講義。時間配分におおむね成功した模様。先週より反応よかった。よしよし。やはり時事問題をいれてやらねばならぬようだ。面白ボーナスレポートを出してみた。授業後、早々に帰宅するも、あんまり仕事する気になんない。

それにしても、最近食欲とストレスにまかせて食べまくってたのと、若干むくんでるのとでめっちゃ体重増えた。4か月前から+3キロくらいだと思う。うーん。むくみが取れたら1キロくらい簡単に減るとは思うけど。

 

 さて、この記事を読んで、このところもやもやしていたことが若干腑に落ちたので覚書する。Facebookにかこうと思ったけど、今日は英語でかく気力がないのでこっちにする。

「国民だけでなく専門家もみな信じた「世界一の原発」の事故」

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121012-00000505-san-bus_all

  日本からの留学生は総じて優秀だった。原子炉の仕組みを学ぶのに十分な物理・化学の知識が備わっていた。松浦によると、高い基礎知識と持ち前の勤勉さにより日本の原子力に関する技術レベルは昭和40年代末には欧米に追い付く。その後も、独自に高性能な素材を開発するなど技術革新を続け、いつしか日本の原発を視察した海外の専門家から、ちりもない原発施設を「ホテルのよう」と絶賛されるまでになった。製品に改良を加えて、より良いものを造り出す。日本の“お家芸”は、原子力の世界でも発揮されたのだ。

 日本の原発は世界一-。国民だけでなく専門家も信じて疑わなかった。

……

 唯一の被爆国だからこそ原子力に重ねた夢は、被爆国だからこその放射能の拒絶へと反転した。「原発も事故を起こすのではないか」。反原発運動は原発の新規建設を困難にするほど高まっていった。

……

 マスコミの論調も厳しさを増した。日本を代表する原子炉安全対策の専門家で、原発の安全を追求する日本原子力技術協会の前最高顧問、石川迪夫(みちお)(78)は「わずかな放射能漏れも許さない世の中になっていった」と振り返る。

 科学者たちはこうした世論に応えるべく、安全対策に最大限の注意を払うようになった。皮肉にもそれが大きな落とし穴になる。

 石川によると、1992年に国際原子力機関IAEA)が原発事故に備えて指針を改定した際、避難経路を用意すべきだとする提案を取り入れるかどうかが国内で議論になった。

 IAEAの国際会議に日本代表として何度も出席した経験を持つ石川は提案に沿った対応を取るべきだと主張。しかし、周囲は「そんな弱気なことでどうする。原子力屋なら絶対に放射能を出さない原子炉を造れ」と耳を貸さなかった。

……

 新たな対策を取り入れなかった背景には、慢心もあった。福島第1原発事故を教訓に今年9月、新たに発足した原子力規制委員会の委員長、田中俊一(67)は「1970年代ぐらいから、軽水炉は完成された技術と言われるようになっていた」と指摘する。

 石川も「日本人は有頂天になると夜郎自大になる悪癖がある。ジャパン・アズ・ナンバーワンと持ち上げられ、欧米の言うことを聞かなかった」と振り返る。

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 異論を唱える専門家はなぜ出てこなかったのか。

 田中が先輩格の研究者の立場を代弁した。「いろいろ思っていた人はいただろうが、一科学者が言えることには限界がある。遠慮もあっただろう」

 原発は国のエネルギー政策を受け、電力事業者が推し進める国家的事業だ。だが事業者は営利を求め、国は政策実現に猛進し、時に「安全」を見失うことがある。こんなとき、冷静な目でストップをかけるのが科学者に期待される役割だが、国や事業者に進言する科学者はいなかった。

 

米→日の技術移転+発展に成功した技術者の自信と矜恃、というのは他の技術移転(例えば半導体とか)でもしばしば見られる。しかし、原子力発電技術に関しては、原発特有の要素と(ダメな方向に)かみあってこの有様、ということなのではないか。放射性物質の危険性に対する一般市民の(心理的)評価と専門家の評価のギャップ、IAEAの指針に対する態度、科学者・技術者の「専門家」としての倫理的責任の放棄(結果的には)などは、国産の技術(移入したものも含めて)に対する矜恃という側面で見ると、だいたい全部繋がって見えるように思う。

では責任は専門家だけにあるのかというと、そうとばかりも言えない。一般市民は(過疎地を踏み台にしながら)原発の恩恵をいっぱいに享受してきたわけだし、完全な安全などはないという事実にも知っていて目をつぶり(あんなの本当に信じていた人がどれだけいるものか)、真剣な疑義はろくに呈して来なかったというのが事実であるはず。日本国民は、何でもかんでも流れに乗って、流されてしまってから後付けで方針と世論を形成するのがいつものパターンだと思うが、それが一番ダメな方向にかみあった例がこれだ、という言い方もできると思う。