晴れた

シリアが戦争状態だという。

3年前ナッシュビルでのセミナーで同じプレゼン班だった、シリア出身のフルブライト奨学生友達がいる。ナッシュビルでは夜は皆で街に繰り出し、夜中はそれぞれ自国の歌と踊りを披露する会になだれこんだのだが、それを先導していたのが彼だった。アラビア語の古い歌を歌ってくれたのと、トルコ人奨学生の女の子が踊るためのドラムをその辺にあった椅子で代用していた(そしてそれが素晴らしかった)のを鮮明に覚えている。彼はアレッポに生まれ、いまはフロリダ州立大学の博士課程に籍をおいているはずであった。最後にメールしたのは1年半ほど前で、それからのシリア騒乱の激化が私はほんとうに気になっていた。大統領が戦争状態を宣言するに至り、近況を尋ねるメールを送ってみた。返事はすぐに来た。彼はいまニューヨークでBank of Americaのインターンをしているらしい。彼の家族は今のところ大丈夫だが、友達や近所の人が殺されたと、ニューヨークでの生活はpeacefulではあるのだが母国からのニュースに打ちのめされていると書いてあった。

彼をはげます以外に私にはできることがない。もしできることがあれば言ってくれと返事はしたが、現在進行している殺人について取れる手段は何もない。かつての私と同じで、彼には2年の帰国義務がある。シリアの政府出先機関的なものがアメリカにあればそこで働ける可能性もあるだろうが、そうでなければ彼は近いうちに母国に帰ってゆくだろう。彼が帰国してからもkeep in touchできるかどうか、私には確信がない。

リビア人奨学生の友達は、革命後のリビアでは権力の奪い合いになっており、市民が置き去りだと危惧している。進展の見えないパレスチナのこともずっと気になっている。

大学で人間というものの本性と価値について日々教育するということの意味については確信しているが、同時にこれは迂遠な手段である。政治的立場も主義主張も誇りもそれぞれあるだろうが、人命をすり潰すのを是とするようなものは断じて認められないというのが私の意見であり、一人でも多くの学生にそういう問題について考えさせるということが今後の平和の大切な基盤になるはずだと考えてはいるが、実際こういうときにとれる手段が友人を励ます以外にないというのは本当にもどかしい。

 

今日の演習はレポート課題配布。彼らはちゃんと添削できるだろうか。ちょっと不安。午後の講義は時間配分を少々ミスったような気も。そういえばお昼は友人のN君と彼の後輩Hさんとランチした。久々にてらいなく喋ってすっきりした。夜はT検討会。ちょっと伸びてしまったが内容はあった。昨日の見学でけっこうがんばったので、腰痛は具合が微妙。