さわやか五月

朝からさっさと出勤。2回生の演習では例のメール講座のフィードバックをまずやった。これで彼ら・彼女らはきっと先生・先輩にメールを送るのに困ることはあるまい。よし。輪読の発表はゆっくりすぎて終わらなかったのだが、今日の発表班は非常に丁寧にレジメを作っていたし、中身もよく読みこんでいて大変良かった。4時間目の講義では、まずは先週の続きの電話交換手の話をしてから19世紀末のオフィスにだんだん機械が入った話をした。そうしたら、授業後に学生がやってきて「自分はメディア上で女性の『声』がどのように捉えられていたかを調べている。今日の授業では、もともと電話交換手は男性だったけれど『声』が問題となって1870年代末からほとんど女性の職業となったという話だったが、アメリカにおける初期のラジオ放送では、女性のアナウンサーは声などの面でふさわしくないという批判があったし、歌の録音などでも女性の声に対する批判が大きかった。では、電話交換の場面で女性の声が肯定的にとらえられたのはなぜなのか」という弩級の質問をくれた。学会並のコメントである。「うーん、何でだろね…」としばし一緒に考えたのだが、とりあえず暫定的意見として「ラジオや録音はメディアとして一方通行だけど、電話交換は掛け手とやりとりをしなければならない。そのインタラクションのやり方が、サービスとして問題となったのではないか。事実、明治期の日本で雇われた電話交換手が結局女性になった理由は、そういったサービス上の理由だったというのを読んだことがある」とコメントした。英語でもいいので参考文献が知りたいというので、ぱっと思い出したものを1~2冊紹介し、来週までに考えてくると約束。気になって眠れなくなりそうだったので、研究室に帰って早速色々論文を検索し、本を検索し、勢い余ってアメリカから2冊ほど注文し、さらに図書館に行って本を借りて帰ってきた。面白い議論が見つかればいいのだが。何にせよ彼の目の付けどころは大変良く、論文を書くのならば非常に面白い論点として採用できるはずである(そういえば彼は何回生なのだろう…)。まったく自分自身たいへん勉強不足であった。教えることとは学ぶこと、とはよく言ったものである。

帰宅して、好物ばかりで夕食にし(全部手作り残り物!)、洗濯ものを片付け、週明け授業のレジメの準備もしたので、あとは今日借りてきた参考文献読んで寝ようと思う。お疲れさまでした。