明るく晴れ!

昨日いただいたカナッペが悪くなっていたらしく、夜のうちにかなりおなかをこわした。しかし腹痛はない。一口だったのがよかったと思われる。Gも同じ症状。どうしようか迷いつつリンゴと紅茶で朝食にし、けっきょく2人で母の実家へ。これが結局正解だった。今年は訪れる人も少ないらしく(私たちくらいらしい)、従弟妹2人と叔母、祖父母でわいわい言いながらカニ鍋した。具はカニと白菜、豆腐、湯葉で、祖父母も「これなら消化によい」と太鼓判(笑)。いわく、自宅でカニ鍋はしたことないのだそうな。このカニは卸売市場で買ったものらしい。良い出汁が出ると言われたそうだが、たしかに出汁用?というか、身は食べづらかったが、だしがどんどん濃厚になっていった。それを吸った湯葉と豆腐がうまくなる。濃厚な出汁で、本番はむしろ雑炊ということに。祖父の言うとおりたっぷりごはんと玉子をいれて、うまいお雑炊をたらふくいただいた。ごちそうさまでした。その後はお茶とおしゃべり。Gは祖父の同級生の話など。盛り上がって楽しかった! ありがとうございました。おぜんざいのお汁を貰って帰って、夜はおぜんざい。お菓子も少しいただいた。行って良かった。楽しかった~。

ところでJちゃんとこの赤ちゃんは無事生まれたらしい。よかった。

雲もあり晴れ

ゆっくり寝て起床。朝は軽めにかっちんと、もらった栗きんとんと黒豆にした。洗濯をして干す。そういえば去年の正月もハワイで洗濯してた。ゆっくり目に出立。まずは広田神社に参る。おみくじは大吉。夜はGの実家で家族でしゃぶしゃぶ。義父はお酒が気に入ったもよう。よかった。いろんな話で盛り上がり、遅くまでゆっくりさせてもらって帰洛。やはり電車は空いていた。さすがは正月。

2017年の総括

まずは、これまで書いていなかったので今回の在外研究の成果一覧を記録しておく。以下の通り。

・某「入門」記事を執筆、出版済。
・Springerからchapterを1章共著、出版済。
・Nashvilleで調査、資料は10月出版に出版済。
シラバスの分析について投稿論文執筆、査読も終わり、採択済。
シラバスの某項目リストについて資料を執筆、投稿。
・HSSJの調査の最終報告書(草稿)を執筆。
・LoTの下訳完成。
・TPについては、書籍のチェックと論文・新聞記事の収集(320件ほど)が完了。
・UofMとHSTMの導入について、Uアーカイブと図書館で資料収集。
・vN解説のための資料調査完了。
・某書籍について、目次案を策定し、資料を収集。出版元との交渉成功。
・C翻訳プロジェクトローンチ、分担まで策定。
・HSSに参加、来年の発表を目指す。

訪問した都市一覧:アトランタジョージア州)、コナ(ハワイ州)、ホノルル(ハワイ州)、ナッシュビルテネシー州)、ワシントンDC、シカゴ(イリノイ州)、ロスアラモス(ニューメキシコ州)、サンタフェニューメキシコ州)、ニューオリンズルイジアナ州)、ニューヨーク市ニューヨーク州)、プリンストンニュージャージー州)、フィラデルフィアペンシルヴァニア州)、インディアナポリスインディアナ州)、ロンドン(英国)、マンチェスター(英国)、ハーメルン(ドイツ)、ライプツィヒ(ドイツ)、ベルリン(ドイツ)、タリン(エストニア)、タルトゥ(エストニア)、リガ(ラトビア)、マドリード(スペイン)、セビージャ(スペイン)

毎月月初めには今月の計画を立て、月末には振り返りをやっていたが、もともと無謀な計画を立てていたということもあって流石にちょっと積み残しが出た。それでもやはり1年の滞在は2回目ということもあって、出来るだけのことはいっぱいいっぱいやったと思う。年が明けてからは前年の疲れも取れてきて、気力をもって研究活動に取り組めたのが良かった。後悔している点は研究所にいた利点が十分に生かせなかったこと。あと半年あれば…と思うが、もうこれは仕方ないような気もする。まずは今回下ごしらえしたものをできるだけすべて料理しきれるように努力するだけであろう。

 

さて昨年の総括によれば、2017年の目標は人生と生活のいろんな側面を「ちゃんとやる」であった。おおむね達成できたと思う。2017年はほぼ海外で過ごしていたので、自分にとってはのびのびできた一年だった。上の記事にもかぶるが、主な出来事は以下の通り。

・ハワイで年越し(1月) オアフ島のビーチで年越しした。年明けすぐにパールハーバーにいったり、ビーチでまったりしたり。暖かくて快適で、これはハマるのも分かる気がする。

・アメリカの各地で調査(1月・8月) ナッシュビルプリンストンフィラデルフィアインディアナポリスで調査。ナッシュビルフィラデルフィアは久しぶりだったが、以前と変わっているところ色々。ナッシュビルは建設ラッシュだったし、フィラデルフィアアーカイブはずいぶん新しいシステムになっていた。プリンストンインディアナポリス初めて行った。発見もあった。ついでにNYCで高校の同級生Mちゃんとステーキとワインで乾杯したりなどもした。

・英国・ドイツ訪問(2月) 調査と旅行を兼ねて、英国とドイツを回った。ロンドンでは研究室の後輩Yちゃんに会い、マンチェスターをうろうろし、ドイツでは妹夫婦を訪ね、パダボーンの博物館では館長さんを訪ね、ベルリンではL2同期のY彦とフルブライト同期のPaul, Caroline夫妻に再会した。

・ワシントンDC訪問(4月) Petrinaの家に泊めてもらって、ワシントンDCで日本食たべてパンダ見て花見した。研究の悩みも聞いてもらったし、人生のことも色々話して、美味しいお茶ももらった。桜は本当に綺麗だった。

エストニアラトビア・スペイン訪問(4月~5月) エストニアのタリンに奨学生同期のHeleriを訪ね、タルトゥを経由して、ラトビアのリガに留学時代の友人Elitaを訪ねて泊めてもらった。長年の夢がかなった。それぞれ現地の友人たちにお国のいろんな事情を聴いたり、美味しいものをご馳走になったりした。それぞれの国に別々の味わいがあって、街並みも美しかった。そこからスペインに飛んでマドリードで調査をし、美術とフラメンコを堪能し、Gと落ち合って列車でセビージャに行き、春祭りを見てマントンを買って美味しいものをたべて帰ってきた。スペインも本当に美しくてごはんも美味しかった。どこもまた行きたい。

・シカゴ訪問(5月) 2泊3日で久しぶりにシカゴを訪ねた。奨学生同期のRoniに再開し、建築事情とイラク事情をきき、友人のWeiyangにも会い、中国と日本の生活や結婚・キャリア事情などについて語り合った。天気が良くて、高層ビルを満喫した。

ニューメキシコルイジアナ訪問(7月) ロスアラモスを訪問してAimeeに案内してもらい、色々と展示を見た。サンタフェを散策して、飛行機でニューオリンズに飛び、街並みや音楽や海産物を楽しんだ。ようやくミシシッピ川の河口を見られた。

ミネアポリス生活と帰国 (1~9月) ミネアポリスで一人暮らしを9月までして、9月の中旬に帰国した。家主のSahilとMercedesには本当にお世話になった。前の留学の時とは違って、習い事をしたり、ファーマーズマーケットで顔見知りの店主ができたり、ポケモンレイドの仲間に入れてもらったり、ずいぶんと現地で社交をした滞在になった。旧友とも、食事したり、動物園にいったり、花火を見たりできたし。本当に楽しかった。やっぱりミネアポリス大好き!

・フラメンコの稽古(1~12月) ミネアポリスでもずっとお稽古に通って、すごいアルティスタのクルシージョにも参加させてもらったし、スペインで舞台を見たり小物を買ったり春祭りを見たり、楽しく練習を続けられたと思う。体のコンディションも御蔭様で維持できた。帰国してからも1週間ほどでお稽古に合流させてもらった。1年前よりパワーが感じられてよくなっているとY先生に言ってもらって嬉しかった。アメリカで出会った先生たちのおかげだと思う。

・妹夫婦の披露宴(10月) R君一家が日本に来てくれて、皆でパーティした。親類もみんな集まれて、色々お話しできて本当に有難いことだった。


思えば2012年の着任以来、博士論文を書いて出し、学会業務に忙殺され、授業は多く、3年目から2年間執行部をやり……と、とにかく忙しく本当に常に疲労していて、どうやって研究の時間を取るかが常に重い課題だった。それが、昨年末の3か月でだいぶ疲労がとれ、今年初めからの9か月でかなり自分を取り戻した。これが何よりもありがたいことだった。とにかく時間を与えられたというのもあり、さまざまに研究の下ごしらえができたほか、分担執筆の本が今年2冊(日本語1冊、英語1冊)出た。英語のほうは昨年末はじめて今年出るというスピード。日本語の方は色々と反響もあるようなので、今後の広がりが出るようやってみたい。

くわえて、9月半ばに帰国するまで、米国や海外の色々な場所で色々な友達に再会したり、新しいものを見たり、研究などで忙しいながらも見聞を広めることができたのは良かったと思う。なんといっても単身赴任だったので圧倒的に身軽だったし、そのぶん現地の人とも色んな交流を持つことが出来たのは、家族を帯同して行く人達にはもしかするとあまり体験できないことなのかもしれない。一人で行っているせいで(そして車を運転しないせいで)なかなか行けなかったところというのも確かにあるのだが。とはいえ、世界中にお友達がいるおかげで、旅の楽しみが何倍にも増え、「遠方より来たる友」として再会を喜び、人生の色々なことについて話し合えるのはまことに楽しく有難いことだった。

それにしても、以前留学から帰国したときにはカウンターカルチャーショックがひどくて、もう米国に帰りたいと何か月も思っていたもので、今回も「総員衝撃に備えよ!」みたいな感じに警戒していたのだが、今回の帰国はびっくりするくらいスムーズで、カウンターカルチャーショックもほとんどなかった(交通ルールが2か月半くらい怖すぎたくらい)。これはひとえにGの支えのおかげである。Gには感謝の言葉しかない。久々に授業をすると、多少戸惑いもあり、疲れもあり、という感じだが、せっかく在外でいったんリセットできたので、これからはあまりいっぱいいっぱいになってしまわないように、量もセーブして落ち着いてやっていきたいと思う。ちなみに今年は帰国してからもアテンドの多い年で、R君一家ポケモンレイド仲間だったKayley、台湾のPrudence、米国からDinaとNickが順にやってきて、それぞれ近畿圏を案内したり食事したりした。帰国してからも随分英語を喋った数か月だった。

今年の初めては「量的調査をやる」「バルト三国に行く」「ヤマブシタケとアミガサタケを食べる」「UberLyftを使う」「Instagramアカウントを作る」「英語と日本語で切り替えながら司会する」とかだろうか。色々刺激的な1年ではあったので、ことさら新しいことというのはあまり挑戦しなかったような気がする。とはいえ新しい研究手法を試したというのは大きい。

あと、こうも色々なことができたのは、何よりひとえに皆が元気でいてくれたからこそ。その点については天に感謝したい。

来年は、計画できることは着実にやり、計画できないことは気負わずに、ということにしたい。とりあえず現在計画されている執筆関係の原稿がきちんと仕上がればそれで上等、それ以上のことはエクストラに頑張った、という位置づけで行きたいもの。来年の目標は「自然体でこつこつ」。来年もどうぞよろしくお願いします。

曇りときどき雨

昨日の今日で若干疲れもある。昨日もらったおこわで朝食。昼前に梅田に出て紀伊国屋で本を買い、O一家と待ち合わせてヨドバシの上でカプリチョーザランチ。お子様たちはとっても大きく可愛らしくなっていた。カプリチョーザひさしぶりで美味しい。A君は非常によくしゃべりかける子になっていた。というか人懐っこくてびっくり。ひざに座りにくるし。食事の後はスカイビルに出かけた。雨が降ってなくてよかった。淀川の流れがばっちり見える。天気がよければ職場も見えるのかもしれない。今日は大晦日ということで、18時の閉店に間に合うように駅ビルへ。我々は壬生菜とクレソン、トマトを買い出し。一家はお酒を買い出し。我々はついでにそばも買った。地下の分岐で一家と別れて帰途。電車は空いていた。街もからっぽだった。帰宅してそばを食し、撮りためたテレビ番組などを見る。紅白はもう一つ興味がない。お風呂であたたまって、けっこう遅くなってから就寝。

思ったよりも暖かかった

遅くならないように頑張って起床。パンで朝食にして両親の車に乗せてもらって出立。今日は朝から餅つき。ついたら祖父が火の番をしていたのでそれを引き受け。今年は3臼しかつかないらしいが、従弟妹2人と叔母、G、両親、祖父母しかいないので手が足りない。初めはつき手が足りないかと思っていたが、実際やってみたらまるめ手が足りなかった。こんなのは初めて。丸め始めたら火の番はぜんぶ祖父ということになった。来年はMちゃんが出産したら赤ちゃんを祖母にあずけて手伝ってもらわないと!(笑)などと叔母と話す。お昼は祖母の栗おこわ。実家の栗きんとんと黒豆、昨日もらったはっさく大福、今日の餅などをリュックに満載して帰洛。なかなか忙しい旅であった。

ぽかぽか年末

夜明け前に目が覚める。昨日の山登りで腕が筋肉痛。せっかくなので朝から大浴場に行き、髪もあらってゆっくりしてみた。広いお風呂は最高。朝食にカツオの出汁茶漬けがあったので調子に乗って食べすぎてしまう。午前中に出て叔父叔母宅へ。年末に向けてジャスコで買った組み立て式テーブルがあるというので、私とG、それから買い物帰りの従弟と一緒に小一時間かけて組み立てた。叔母にはすごく喜んでもらって良かった。昨日は物凄く美味しいお寿司をご馳走になったことだし。昼食は家族皆でめはり寿司さんま寿司を頂いた。昼過ぎに辞去して、見たことがないというGのために両親と4人で那智山へ。青岸渡寺飛瀧神社に参る。それから串本経由で大阪へ。着いたら暗くなっていて、さすがにみんな疲れて、私とGでサラダと付け合わせを作り、母が買いおいていたステーキとワインを食す。美味しかった! ごちそうさまでした。

晴れてくれて助かった!

今日からちょっとした旅。Gと一緒に地下鉄に乗って8時半初の特急くろしおに乗り、まずは海南へ。そこで両親の車に拾ってもらい、一路紀伊山地へ。中辺路の道の駅で梅うどんを食し、本宮の山奥へ。今日は山守さんに祖父の昔買った山を案内してもらう日。天気が良くて助かった。山守さんは今年80歳とのことだったが12歳は若く見える。すごい。車を置いて細い橋を渡って山道へ。道というかけものみちで、めちゃ細くてびっくりするくらいだったが、それははっきりいって序の口で、そこから道のない急斜面をひたすらよじ登る。生木につかまり(「枯れ木をつかんだら地獄をみるんや」と2回も言うてはった)、木の根や岩に足をかけてよじのぼる。途中で要所要所に山守さんが鉈で木の皮をめくり、墨で印を書き込んでいく。かなりきつい崖では腕をとってもらってなんとか尾根まであがった。山守さんはスパイクのついた地下足袋だったが、それ以前に足腰が違う。三日も山を歩かないと気持ち悪くなってくると仰っていたがなるほど。尾根はまあまあ歩きやすく、明るくて、松の木もあったりして(これが大昔にマツタケを送ってもらったところかと思いつつ)、ちゃっかり松ぼっくりも拾い、頂点まで上がって、そこからまた下る。初めはおりやすかったが、途中からのガレ場が難しかった。山守さんはそれでも難しいところをすいすい降りて行かれるのだが。そうやって山守さんに案内してもらって家族4人で山を検分。ありがとうございました。この辺りでは最近アマゴの養殖とわさび栽培をしているらしい。山守さんにはずっとお元気でいてもらいたいもの。

車で新宮方面に下って、串本に出て、夜は叔父叔母夫婦、従弟夫婦と8人で、くえのお鍋とお鮨! おさかなめっちゃおいしかった! あこう鯛のお鍋もおいしかったし、お鮨は絶品。ごちそうさまでした。