スペインは暖かい

今日は移動日。エリータは朝から出かけたようだった。私も起き出して支度し、パンと冷蔵庫のチーズ、ハチミツ、お茶で朝食にする。パッキングもして、時間があったので溜まっていたメール色々に返事をした。エリータは10時半ごろに戻ってきて、私のランチにといってチーズとパン、フムスでサンドイッチを作ってくれて、バナナも持たせてくれた。そういう作業をしながら、彼女の岡山の道場での体験などについても話した。エリータは空港まで車で送ってくれた。大感謝。車を降りたところで一緒に最後のセルフィーを撮ってハグして別れた。また、日本かラトビアか、どこかで再会したいもの。エリータ、色々ありがとう。

チェックインは、搭乗券が足りなかったもののスムーズに行き、あっさり空港内に入れたので、コーヒーをかってさっそくサンドイッチを食べた。まだ時間があったので、お店も覗いて、ネコのピンバッジを買う。まずはバルセロナまでのフライト。持ってきた『虐殺器官』をやっと読み始める。バルセロナに到着してから、まだ数時間待たねばならない。空港は広くて、とりあえず夕食がわりにタパスを食べた。生ハムの乗ったパンやオムレツ、ビールなど。かなり待ち時間があったので込み入ったメールに返事などをしつつ、なんとか乗り継ぎ便にのる。バルセロナからマドリードまで。こちらは1時間ほどで着き、マドリードについたらもう夜だった。荷物もすんなり出て来たので、タクシー乗り場からタクシーにのる。マドリードの中心部までは一律30ユーロ。タクシーの運転手さんは親切で、わかりにくいオステルの入り口もちゃんと確かめてくれた。オステルのスタッフEllenさんもまたとってもフレンドリーかつ親切で、丁寧にチェックインしてくれた。この人は、その後も、チケットの印刷を手伝ってくれたり、見どころを教えてくれたり、買い物できる場所のアドバイスをくれたり、とても気持ちのいい対応をしてくれた。感謝。とにかくチェックインして、軽くシャワーをあびて就寝。

曇りのち雨のち晴れ

なぜか朝4時に目が覚め、日本とメッセージのやりとりなど。京都の家のアイビーが立ち枯れ病で枯れてしまったという話。寝直して8時ごろ起床し、髪を洗う。エリータは今日も朝から仕事で既に出かけている。お茶を入れ、パンとハチミツ、チーズのお菓子で朝食にする。支度して出立。まずは近くの郵便局に祖父母宛のハガキを出しに行く。それから歩いて木製の住宅があるあたりを通るが、雨が降ってくる。雨に降られつつ公園を抜けて、ラトビア国立図書館へ。図書館に着くころには雨がやんで、まるで絵葉書みたいな物凄い写真が撮れた。

f:id:noctifer:20170426170851j:plain

この国立博物館は新しく、ガラスのお城という童話(伝説?)に着想を得てデザインされたものらしいのだが、でこぼこしているせいで維持に大変お金がかかるらしく、ラトビアには長期的視野がない、メンテナンスのことを考えていないと昨日デニスは怒っていた。まあとにかく綺麗ではあるし、中も広々として、色んな展示がある。コートと荷物を預けて、受け付けで展示を見たいというと、ゲスト用入館証を渡してくれるので、それで中に入って展示や閲覧室などを眺めた。すごくきれい。眺めもいいし。

f:id:noctifer:20170426112930j:plain

f:id:noctifer:20170426111013j:plain

f:id:noctifer:20170426113235j:plain

f:id:noctifer:20170426120011j:plain

ここには東アジアの書籍のブースもあって、行ったら「何かお探しですか」と声をかけられた(笑)。明らかに東アジア人だったからだろう。ここの係の1人は折り紙が得意で、月に1回折り紙のワークショップをしているということだった。お土産に蝶の折り紙をくれた。この折り紙は長旅に耐えられなさそうだったので、エリータに後でプレゼントした。

f:id:noctifer:20170426122826j:plain

f:id:noctifer:20170426122547j:plain

歌のフェスティバルのポスターとかアメリカの写真展とか貴重書とか、この図書館デザインのもとになった本とかデザイン画の原本などを見て辞去。

f:id:noctifer:20170426112058j:plain

f:id:noctifer:20170426112051j:plain

f:id:noctifer:20170426115009j:plain

さて、エリータとはKGBビルディングのところで待ち合わせるという話になったのだが、そこに行くのに大変苦労した。まずトラムには乗れたのだが、トラムのターミナルから目的のバス乗り場がわからない。たぶんこっちだろうということで少しあるいて先のバス停から乗るが、なんとGoogleマップが指し示す住所が間違っていて、着いたら全然別の場所。そこから更にバスに乗って旧KGBの建物に着き、中もさらっと見学したのだが、今度は携帯のプランが上限に達してしまった。トップアップをしなければならない、ということで、運よく近くのスーパーを見つけるが、ラトビア語がわからないのでどうやって説明したものか。スーパーの無料WiFiを使い、携帯会社のウェブサイトを見せて、次いでに後ろのお客さんだったお姉さんに英語で通訳してもらって、ようやく5ユーロ分のトップアップに成功。レシートに載っている番号に電話をかけたら、トップアップしましたという画面(らしきもの)が出て、20分以内にチャージされるという寸法。本当に大変だった。おかげでエリータと連絡がついたけど、ちょっとした冒険だった。

午後はあまり時間がないということで、近場にでかけることになった。まずはエリータの妹エリーナさんのアパート(リガの中心地)に行って、軽くポテトやサラダ、チーズなどをいただいた。エリーナさんの娘のエヴァちゃんが可愛い。パンダちゃんが拉致された。

f:id:noctifer:20170426211835j:plain

それから支度して車で出立。ソ連時代には保養地だったというユールマラの付近の、ケメル国立公園へ。ここは湿地帯になっていて遊歩道があり、しかも硫黄分を含む水が出るということで、病気の人の保養所などもかつてはあったそうだ。ソ連時代の豪華な建物は、見た目は豪華でも中はリノベが必要で、そういうこともあって買い手がつかず、いまだにからっぽのまま放置されているのだそうな。

f:id:noctifer:20170427001749j:plain

それはともかく湿地帯はきれい。たくさん歩いた。

f:id:noctifer:20170427004529j:plain

あとスロカ湖の美しさよ。鏡みたいだった。

f:id:noctifer:20170427013631j:plain

おやつにもらったオートミールクッキーがおいしかった。日も暮れて来たので車で戻り、リガ中心部近くで解散し、私とエリータは地元のブリュワリーで軽くビールを飲み、別の店で少しタコスを食べて夕食にした。エリータは18歳の時から3つ年上のデニスと一緒にいて、彼がボスで何でも決めて来たから、別れてから初めて家のことでも旅行でも自分で決めるということになって、すごく独立した感じがするそうだ。12年は大きかろう。それに18歳の女子と30歳の女性では自立心も違うはずで、年月が関係性に影響を及ぼしたことは間違いない。でも二人はカウンセリングにも行って、ゆっくり話し合って、お互いに尊敬を保って関係をリセットしたというからすごい。実際昨日見てもそうだったし。エリータが新しい生活のスタートを切れたというのは良かったんだろうと思う。彼女は、私が結婚したので勇気が出たと言っていた(笑)。うむうむ。帰宅してハーブティーを頂いて就寝。

曇りのち雨

ゆっくり起床。エリータは仕事で早朝から出かけている。久々に朝ゆっくり寝た気がする。8時すぎから髪を洗い、食事して支度して出立。21番バスに乗って市庁舎付近で降り、そこから歩いた。アルベルタ通りのアールヌーヴォーの建物を見に行く。改修中の建物もあった。ツアーで立ち寄っている人が多かった。

f:id:noctifer:20170425170933j:plain

雨が降ってきたので、近くの医学史博物館へ行く。何とも言えないへんな場所だった。やっぱりこういう博物館はモノの収集から始まっているのかなあ? 印象的なものとしては祖父のボスだったコルフ先生への言及、宇宙開発関係が全部ソ連だったこと(当たり前だが)、犬に別の子犬の頭部を繋げて循環系を共有させるという動物倫理的に考え難い実験の展示とはく製など。高校生たちも訪れていた。

その後に入場無料ということもあって軍事博物館へ。中世くらいから現代までの軍事関係の展示がある。

f:id:noctifer:20170425140310j:plain

第二次世界大戦前後より、第一次世界大戦に比重を置いていたのが印象的だった。エストニアとはまたやはりメインをどこに持ってくるかも違う気がする。ラトビアの兵士が敦賀港を経由して母国に帰ったという話もあった。ここでポストカードを買い、郵便局に行って切手を買い(番号札を取るのにGoogle翻訳を使ったりなど。ちょっとした冒険)、近くのカフェでなんかナポリタンみたいなスパゲティを食べ、それからお土産を見にリネンショップへ行った。色々見て、ランチョンマットとコースター、素敵な色のストールを買う。なんとこの店の支店が神戸にあるそうで、びっくりした。日本語で「ありがとう」といわれたりなど。

市庁舎付近経由で結局バスターミナルまで歩き、4番トラムに乗って植物園の横から歩いて帰宅。持ち物の整理などをしていたらエリータも帰ってきて、ディナーに出かけた。夕飯は旧市街のダイナーで、ラトビア料理が食べられるところ。妹さん夫婦エリーナさんとエリックさん、娘のエヴァちゃん、エリータの前のパートナー、デニスさんと一緒。デニスさんとはいったいどういう関係なのかなあと思いつつ、とにかく日本のことで質問攻めにあった。北朝鮮の話とかも。食事は美味しくて、ビーツの冷たいスープとか、ポテトも美味しかったし、なんか浅漬けみたいなピクルスもあった。これは日本人の口にはあいそう。お肉のグリルもあったけど、サワークリームであえたサラダとかのほうが好みかも。飲み物はクワス。あまくて美味しい。ご馳走様でした。

f:id:noctifer:20170425191053j:plain

f:id:noctifer:20170425191100j:plain

ゆっくり食事して解散して帰宅。エリータがミント・セージ・タイムでハーブティを作ってくれたので、それを飲んで就寝など。エリータが先に支度して、私はしばらくハガキなどを書いていた。

晴れと曇りと雨と

7時20分発のバスに乗るべく起床、チェックアウト。ホテルでの支払いはなしということだった。本当にエクスペディアで払ったかなあ? まあいいけど。高速バスは、タリン-タルトゥ便と違って、混んでいてちょっとしんどい。サンクトペテルブルクからリガに行くバスらしかった。

バスでエストニアラトビアの国境を超えるのだが、国境にあったのはEU印の看板だけで他には何もなく、ちょっとびっくりした。シェンゲン条約すごい。でも面白いのは国境を越えたとたんに看板の言語が変わったこと。この辺りに住む人はやはりバイリンガルになるのだろうか? あと、エストニアは非常に道路がよくてバスはすいすい飛ばしてたのに、ラトビアに入ったとたん明らかに道路が悪くなって、結局リガ近くにいくまであまりすいすい走らなかったのだった。何か道路事情が違うのだろうか。

バスは結局遅れて3時間半ほどかけてリガに到着した。リガのバスターミナルには荷物預かりがあるのだが、これが安い。6時間で3ユーロくらい。荷物をとりあえずここにドロップして、まずはTele2にsimカードを買いに行った。行列はあったがスタッフは親切。ZZのsimカードの150min, 150SMS, 150MBのものにさらにデータをAddして購入。設定もしてくれた。

さて、携帯電話がどうにかなったところで、食べものを探しにラトビア人の友人エリータに教わったマーケットに行ってみた。色々なお花とか魚、野菜、肉などが売られていたが、昼食になりそうなものをなかなか見つけられず。

f:id:noctifer:20170424114013j:plain

f:id:noctifer:20170424115232j:plain

f:id:noctifer:20170424120534j:plain

とりあえずお土産にかわいいミツバチ柄のリネンを購入。駅方面に戻って、ラテとケーキ、惣菜的なタルトを注文して食べた。ラテが大きい(そしてグラスで出てくる)ことに驚く。腹ごしらえしてから、これもエリータがメッセージで教えてくれたラトビア科学アカデミーの建物に行ってみる。「モンスターみたいな建物の上に登れて、展望台からリガを見渡せる」みたいなことが書いてあったのだが、どれやろう、わかるかなと思ったら、もうこれが明らかにモンスターだった。見間違えようもないソ連的なスターリン建築。

f:id:noctifer:20170424193342j:plain

入り口近くの受付で5ユーロ払うと、17階の展望台に上れる。エレベータは15階までで、あとは階段。これが確かに絶景だった。世界遺産のリガ旧市街が一望できる。

f:id:noctifer:20170424192616j:plain

人もびっくりするほど少なかったし。私が上がったときは無人で、その後何人か上がってきてた。

f:id:noctifer:20170424190510j:plain

物凄い眺めを堪能してから下に降りて、旧市街を散歩することにした。時間が時間でそんなに空いている建物があるわけでもないので、ひたすら通りを歩く。ほんとうに美しい街並み。中世からの建物も残っている。通りもきれい。

f:id:noctifer:20170424201941j:plain

f:id:noctifer:20170424202039j:plain

f:id:noctifer:20170424211041j:plain

ここでもまた国会を見た。やっぱりコンパクト。しかし年があけてから、英国、ドイツ、米国、エストニアラトビアの国会を見たことになる。日本の国会いったことないのにね。

f:id:noctifer:20170424205018j:plain

数時間ひとしきり歩いて、疲れたのでココアを飲んでいたらエリータから連絡があり、カフェにやってきた。2011年9月以来の再会! 5年半ぶり? お互い少しだけ年をとったけど全然変わらず。聞けばなんと先週まで日本に3週間ほどいたという。聞いてないよ! 京都も訪問したとか。私が米国にいるのを知っていたので連絡取らなかったといってたけど、言ってくれれば色々アドバイスしたのに~。なんでもElitaは数年前から瞑想をやっていて、その修行で岡山市の禅寺に行っていたのだそうな。あと長く付き合っていたデニスとは別れたとか。結婚したんやね!みたいなことも言われ、どうやってGと出会ったとかハワイ旅行がどうだったとか。Yiに会ったとか、Hernanとは会ってないがフロリダにいるようだとか、再会するなり前置きも何もなくいきなり色々キャッチアップを開始して、とにかく家に行ってごはん食べようかということになり、スーツケースをピックアップしてトラムにのり、エリータの車に乗り換えて、まずは朝食を買い出しにスーパーに行った。エリータがおいしいパンとか、お気に入りのチーズとかビールとか色々紹介してくれて、一緒に食べようと言って買ってくれた♪

エリータはずっとデニスと住んでたけど、去年の8月にお別れして一人暮らしを始めたらしく、そのおうちに4日間お邪魔する。見た目めっちゃ旧ソ連な団地で、エレベーターも古くてぎしぎししてたけど、なんとアパートの中はリノベされてぴかぴか! 空調もきいてて快適♪ エリータはベッドを貸してくれて(なんでも最近めっちゃいい寝袋でポーチで星を見ながら寝るのにはまっているらしい)、とりあえず荷物を置き、買ったフムスとチーズのデザートをつまみながらビールを飲み、また色々話す。仕事のこととか生活のこととか、これまでの旅のこととか。キャッチアップすることはいくらでもある。

だんだん遅くなってきたので、改めて近くのお店に夕食を食べに行った。彼女のお勧めにしたがって、ワイルドマッシュルームのリゾット。とってもおいしかった!

f:id:noctifer:20170424221444j:plain

飲み物はクワス。これも美味しい。時々飲みたくなりそうな味。

f:id:noctifer:20170424214652j:plain

ゆっくり歩いて帰宅して、もう夜中近くになってたのでさっとシャワーだけ浴びさせてもらってゆっくり就寝。貸してもらったブランケットとマットレスがとっても気持ちいい。

時雨あり

今日はタリンを出立する日。6時半に起きてパッキングしてチェックアウト。タクシーを呼んでもらったら、早朝なのにびっくりするほど早く来た。事前に書いてあった行先を見せて、タクシーを走らせてもらう。あっさりと10分弱で到着。最後にエストニア語でありがとう(Aitah)と言ったら通じたみたいで、運転手のおじさんがにっこりしてくれた。ついに通じる日がきたか。まだ時間があったので、チョコケーキとコーヒーを食し、お手洗いに行ってからバスに乗車。プレミアム席にしたのでゆったりして乗り心地もよい。ひたすら農地をぬけること2時間半、タルトゥのバスターミナルに到着。その真ん前にあるホテルを予約していたので、とりあえず荷物をあずかってもらい、まずは大学方面へ。

f:id:noctifer:20170423165229j:plain

世界遺産天文台を外側から見て(入口はクローズされていた)、それから大学博物館へ向かう。ここのコレクションはまぁ思ったほどではなかったけど、ハワイの展示があったり、中世の教会からの出土物があったり、出身の有名な科学者のコレクションがあったりして面白かった。

さて、次は国立博物館に行こうと思ったが、ちょうどバスが出たところだったのでいったん腹ごしらえをすることにした。バス停の近くのサブサンドイッチを出すチェーンのようなところに入ったのだが、ここの食べものが巨大すぎて完食は断念。タリンのバスカードが使えることを確認して、バスに乗って国立博物館へ向かった(この国立博物館への行き方が日本語ではどこにも書いてなかったので、別に記事を書く)。

新・エストニア国立博物館への行き方 - buzzing evening

この博物館がすごかった。日本人建築家がかかわっているらしいのだが、民博を思い出させるほどの規模で、エストニアの歴史と文化に関するへレリの話のネタ元はここ?と思うくらい、いろんな話を再学習できた。ウラルの人たち、布、歌、方言、発音、服飾、木工、料理、石器時代から中世、エストニアの独立、ソ連時代、シベリア送り、1989年のバルトの道(人間の鎖)の写真を順に追えるスクリーンも。エストニアの国家としてのアイデンティティをかけていると感じる。すばらしい展示だったので、友人たち皆にお勧めしたい。帰りも路線バスですんなり戻り、へレリにお勧めしてもらったTruffeで夕食。牛タルタルにいくらとチップス、エストニアのビール。美味しかった。ホテルのチェックインで多少トラブル気味だったがまあなんとかなった。安いホテルなので、シャワーでバスルームの床が濡れまくるので難儀したが、それもなんとか。ごちゃごちゃ色々整理して、ほどほどに就寝。

曇り時々晴れ

朝ゆっくり目にして正解。朝食を食べ、支度して、11時過ぎにへレリがやってきた。天気は曇り気味だが晴れ間もありつつ、まずはちょっと歩いて階段を上って、教会を目指す。12時からのオルガンミニコンサートを聞こうという寸法。歩きながら、おじいさんの代ではソ連の関係で、思想的に危ないと思われてタリンに住めなかったとか、シベリア送りになった人がいたとかそういう話を聞く。コンサートが終わったころ、ちょうど雨が降りかけていたが、まぁまぁ大丈夫そうだったので歩いて、ショッピングセンターの中のカフェで昼食にサーモンアボカドサラダをいただいた。これが何故がもたれて、後で不思議だった。炭酸水を飲んだせい?

f:id:noctifer:20170422130437j:plain


ともかく、食後は海洋博物館へ。いろんなボートやヨットがあったり(アイスセーリング用のも!)、戦車があったり。そして潜水艦ふたたび!(ハワイ以来!) 今度の潜水艦は、アメリカ製だけどソ連時代にも使われていたので、アメリカの部品にキリル文字の表示が出ていたりしてかなり興味深かった。パールハーバーにあったものより中は広かったような気がする。

f:id:noctifer:20170422202456j:plain

特別展は海難救護。これが大切なのは、フィンランド湾の年間平均海水温が何と8度(!)だからだとか。8度の水を触れるコーナーがあったが、冷たすぎ。これは死ぬ。しかもフィンランドなどと船の行き来が多いそうで、海難があると大変なのだそうだ。そんなこんなで、エストニアの海岸ではロケット花火は禁止らしい。海難の知らせと混乱するからだそうだ。バーチャルリアリティで氷の上を歩けるコーナーもあった。ちなみにソ連時代には逃亡禁止のために海岸線へのアクセスも禁止されていたのだそうだ。ソ連のことを何も知らんのだな、と我ながら実感する。

博物館内のカフェでエスプレッソを飲み、エストニアのサウナの話などでもりあがり、旧市街に戻って土産物屋さんを見ることにした。へレリが言うには、マトリョーシカはもちろん琥珀などもみなロシア系の土産物だそうで、エストニアのものはそうではない!とのこと。へレリお勧めのお土産物屋さんを回った。1軒目では木製のコースターを入手。2軒目(ホテルの近く)では織物のポーチとがま口をゲットした。それからお勧めのチョコレート屋さんでGのためにチョコを買った。その辺で夕方になってきたので、へレリの車に乗り、オープンエアミュージアムに行って、エストニア伝統の小屋というのを外から眺めた。これがどう見ても日本のかやぶきにそっくり。

f:id:noctifer:20170423004022j:plain

へレリに茅葺の写真を見せたら「似てるね」と言ってた。めちゃ似てる。しかもこの海に向って日が落ちていく様が、私の地元にめっちゃ似てる。こっちのがずっと寒いけど。「地元に似てるわ!」と言ったら「ホームシックにさせてごめんね!」と言われた(笑)。

夕食はへレリが予約してくれたお店で、海辺で眺めのよいNOAというレストランだった。タリン近郊でも評判が非常にいいらしい。メニューはエスニックというか、しょっちゅう変わるらしいのだが、何か日本風みたいな感じもあった。とりあえずGOMAのキャベツサラダはひじょーにおいしかったし(胡麻の風味)、おさかなのフライは天ぷら?とか言われたけどまあフライで、これも美味しかった。タコも食べられて満足。デザートはローストバナナにラベンダーのバニラアイス。これも本当に美味。窓からは、湾の向こうのタリン旧市街と新市街がのぞめる。素晴らしい眺め。

http://www.noaresto.ee/en/noa-restaurant#avaleht

f:id:noctifer:20170422194500j:plain

f:id:noctifer:20170422203639j:plain

f:id:noctifer:20170422212630j:plain

f:id:noctifer:20170422194900j:plain

最後にホワイトティーを頼んで、結局19時にお店に入ってから23時まで話し込んだ。日本とエストニアの現状とか、海外の結婚式に行った話とか、日本人の寿命の話、シベリアのことはなかなか映画などにならないという話とか。へレリは昨今の欧州の難民受け入れ問題についてはかなり難しいのではないかという考えをもっていた。というのも、エストニア国内の残留ロシア人問題がかなり深刻だからだそうで、その土地の人じゃない人たちが大量にやってきた場合の社会的摩擦や、国家としてどうやってアイデンティティを保っていくのかという問題が難しくなるはずだ、という見方。議論したのが、例えば本当に北方領土が日本に返還されたときどうなるのかという問題。北方領土にはもう何十年もそこに住んでいるロシア人の皆さんがいるはずで、それはまさしく1990年代にソ連からの独立を果たしたエストニアが現在直面している問題である。ラトビアもそうだ。ロシア人を国民として認めるか認めないか、大きな議論がある。民族とは、国家とは、ということと、人間の移動の自由ということを考えると、色々なことが対立していて非常に難しい。

途中、彼女の知り合いのメディアの人が我々を見つけて挨拶に来た。赤いジャケットがお洒落なおじさまだったが、あとで聞くとEesti Ekspressというエストニアの新聞を含む2紙のオーナーで、電子機器会社も持ってるスゴい人だった。Hans Luik氏。握手して話して、ぜひテレビ塔に行きなさい!みたいなことを言われ、もう昨日行ったんですよね~みたいに写真を見せて盛り上がった。タリン近郊の人間ネットワークの狭さには驚かされる。まあへレリがネットワークの重要なノードという可能性はあるけど。

帰るころには星空だった。へレリがくだらない日本イメージの動画とか見せてくれて笑ったりしながら帰路。ホテルまで送ってくれて、車の中で別れを惜しんだ。See you on FBとか言って。またどこかで会えればいいけれど。でもとにかく、会いに来てよかった。学ぶことも多かった。また会える日まで、お互いに元気で。

明日は出立なので、パッキングして就寝。

変わりやすいお天気

7時半に起きてうっかり二度寝し、起きたら9時前で飛び起きた。宿の朝ごはんはフルーツも多くて美味しかった。サーモンやニシンも食べてみた。美味。

11時にHeleriがやってきた。彼女とは2008年のgateway orientationで同室になったのが出会いで、2009年にボストン、2012年京都で会って以来、5年ぶりの再会だった。いまはタリンの中心部で弁護士をしているスーパーエリート。タリンに行くよと連絡したら案内するよ!とガイドをかってでてくれた。嬉しい!

まずは旧市街を歩いて回る。タリンは中世に栄えて以来、いったん没落したので、それで古い町並みがたくさんのこっているということだった。教会に広場、旧市役所、元KGBの建物…。ソ連時代はもちろん土地も家も私有ではなくなり、ロシアからたくさん人が引っ越してきたらしい。しかし、1990年代にエストニアが独立したとき、旧市街の家も元の所有者に戻すことになり、そこに何十年も住んでいる人もいたりして、色々法的にも大変だったらしい。ソ連時代はリノベーションにお金もかけられなかったので、旧市街の家の改修は今も進められているとか。旧市街としての街並みも保たないといけないのでなかなか大変なようだった。へレリの前の職場のすぐ隣という聖ニコラス教会を訪れ、中世の「死のダンス」や銀の紋章などを見たりなど。

f:id:noctifer:20170421173000j:plain

f:id:noctifer:20170421174802j:plain

教会を出たらちょうど雨が降ってきたので、混んでて入れないことも多いという近くのレストランに行ってみたらちょうどは入れたということもあり、ランチすることになった。ここのランチスペシャルがたったの5ユーロで超おいしい! へレリが言うには、エストニアの家庭料理に近いとのことだった。

Rataskaevu 16

f:id:noctifer:20170421181249j:plain

ごはんを食べ終わって歩いていると、へレリが「今すれ違ったの、芸歴20年の女優さん」とか、「あそこでランチしてるの、保守第一党の党首」とか色々教えてくれる。そしてしょっちゅうへレリの友達に会う。タリンすごいな! へレリいわく「エストニアは小さいから一つの村みたいなもの。みんながお互いに知り合いって状態」だとか。すれ違う人が誰かというのは旅行者では絶対にわからないので、地元民と歩いていて初めてわかることだよなあと思う。なんでもイベントで首相に会えたりもするらしい。日本じゃ考えられんけど、知事に会うみたいなものか、と思えば可能性も感じられる。

デンマーク王の庭を抜けてトーンペアへ。この辺りには国会とか政府の主要な建物が並んでいる。ていうか国会コンパクト! まあエストニアは小さいからそりゃそうかもしれんけど!

f:id:noctifer:20170421191206j:plain

国会の横のこの塔はエストニアの象徴で、日の出と日没にあわせて国旗が掲揚されるとのこと。白夜になると掲揚時間長くなるの?と聞いたらそうだと言っていた。逆に冬は短いとか。 

f:id:noctifer:20170421191544j:plain

ロシア正教会の教会なども覗いてから展望台へ。昨日も来たけど今日のほうがずっと眺めがいい。この辺で、へレリが今日明日の夕食の予約をとってくれた。ありがたい。

f:id:noctifer:20170421194503j:plain

眺めを楽しんだ後は、へレリの車に乗って、近くのカドリオルグ公園に行った。ここには博物館もあるし、いまの首相公邸もある。この横にケーキの美味しいカフェがあるということで、そこでお茶した。 

f:id:noctifer:20170421143206j:plain

前に日本で会ったときのこととか、日本の最近の国際関係のこととか、アメリカ大統領選後の米国の雰囲気のこととか、色々と話し込む。

その後は公園を散策。なんとこの中に日本庭園があるというので行ってみた。「茶室」とか書いてるのに何もないやん!とか私が突っ込んだりしていたのだが(へレリは「日本語わからないからそこに茶室があるはずというのも知らなかった」とか言ってた)よくよく見ると庭園はまだ整備中で、将来的には茶室などをつくるということだった。京都の庭園業者さんらしい。なかなかよい雰囲気だった。

f:id:noctifer:20170421215216j:plain

カドリオルグ公園自体は日本庭園含め非常に広い。この公園ではウェディングフォトなどもよく撮られているらしいのだが、エストニア人が撮るポイントとロシア人が撮るポイントがまた違うらしい。文化の差ってことかな? なかなか興味深い。

それからへレリが遺跡に連れて行ってあげるといって、車でピリタ修道院跡に連れてってくれた。15世紀にたてられた修道院で、16世紀に廃墟になったとか。中央を境に男女に分けられていたらしい。巨大。

f:id:noctifer:20170421224024j:plain

f:id:noctifer:20170421225159j:plain

ここでウェディングの写真を撮ろうというカップルとすれ違った。敷地内にお墓があるのだが、へレリが「お墓で結婚写真か~」と笑っていた。ここからちょうどテレビ塔が見えるのだが、時間もあることだし、テレビ塔に行こうということになった。公共交通機関ではなかなか行けないところなので嬉しい。

f:id:noctifer:20170422002617j:plain

ソ連時代に建てられたこのテレビ塔は、エレベータの設計に日本人が関わっているとのこと。1990年代のエストニアの独立のときには、メディアをおさえようとここにロシアの戦車がやってきたらしいのだが、エストニア人の必死の抵抗で死守したとのこと。その記念碑もたっていた。メディアをおさえておくことは重要なのだ、とへレリも言っていた。そもそもエストニアフィンランドに近く、ソ連時代もフィンランドのテレビを見られたとかで、それでエストニア人はフィンランド語を覚え、西側世界の暮らしを学んでいたのだという。北朝鮮ではどうなのだろうな、と思ったりなど。タワーの上からは素晴らしい眺め。外に出られるデッキもあったけど、ものすごい風だった。それにしてもタリン付近はフラットでびっくりする。全然山がないやん!

f:id:noctifer:20170421234925j:plain

世界のどの都市まで何キロとかいう表示があったり、エストニアのIT企業を学べるブースがあったりして、それもなかなか楽しかった。

お土産屋さんでエストニア作曲家のCDとかマグネットとかを買って辞去。タワーの前で二人でセルフィーしてFBにあげたら、同じ奨学生仲間から「リユニオン!」とか言ってものすごい反応があった。皆元気そうでうれしい。

夕食はタリンの旧市街のカフェにて。豚肉料理とデザートを食す。

f:id:noctifer:20170421192412j:plain

f:id:noctifer:20170421195813j:plain

今日はいっぱいうろうろしたので早めに解散にした。明日もへレリと回る予定。とにかくへレリはエストニア人なので、一緒にいると何もかもスムーズにいくので本当に助かる(前にへレリを京都で案内したときももしかしたらそうだったのかもしれないけど)。へレリは英語がペラペラで、初めて会った時はへレリの英語の流暢さについていけないと思ったものだったが、今回は全然普通やなという感じで、私の英語力もちょっとは成長したのかな、と思うのだった。