雲もあったけど

よく寝た。なぜか院生時代の夢を見た。オープンキャンパスか何かを手伝う夢だった。起き出して出勤。残りのまとめを気合いでやってしまう。作業する内容はまだまだある。

夕方には早めに戻り、残り物で食事をしてから踊りに行った。帰りに誘われて近くのレストランで皆で一杯飲んだ。ここの食事がものすごく美味しい! ステーキとかめっちゃおいしそうやった。ニョッキも。また来たいな~。

今日から2月なので2月の目標。

  • T関係の共著論文を仕上げる(今月締め切り)
  • ロンドンとマンチェスター、ドイツの調査について下調べしてアポを取る(必須)
  • Nashvilleのまとめを書く(ひきのばす意味がない)
  • 某調査の報告を仕上げる(これも早いほうがよいので今月中がベター)
  • PhiladelphiaとDCの訪問について考え、計画を立てる

こんだけやったらいっぱいいっぱいでしょうな…逃げる2月というが頑張ろう。はあ。

あんまり天気よくない

もう1月が終わりとは驚く。朝からオムレツなどを食してから登校。あまりモチベーションが上がらないものの、今日はCPMで行った聞き取りの書き起こしをやった。6時くらいまでかかった。明日は残りのまとめをやってしまわなければ。夕食は豚のみそ漬け。

1月のレビュー。

  • Tの自分担当分はメドをつける →共著者担当分のメドがつかなさすぎたのもあって、全然できていない。でも2月が締め切りなのでとにかくやる。
  • vN構成メモ →全然できてない。
  • Nashvilleに行く →済。非常に勉強になった。
  • 自分の本の構成を作る →手をつけてない
  • 某調査のテキストマイニングをはじめて完成させる →データ量が当初想定の3倍くらいにふくれたので、その処理をまだやっている途中。

まぁ1月はしょうみ3週間半くらいしかない中で調査にも行ったので、こんなもんかという気もする。2月も頑張らないとなあ。

大統領が7か国の新規ビザ発給と渡航を禁止して、国内外では大騒ぎになっているが、とりあえず1つ指摘したいのは米国のビザポリシーは昔から非常にharshだということだ。イミグレーションで差別的なことを言われるのも日常的だったと思う。私ですらこの10年、イミグレで「お前はアメリカに彼氏を探しにきたのか」と何度も言われたし、シリア人の友達は常に航空券に印がついていて空港のセキュリティチェックでは横に分けられて常に身体検査だし(一緒にいた私も付き合った(?)ことがある)、イラク人の友達は「アメリカに来てアメリカ人と結婚したらどうするつもりだ?」とイミグレで聞かれたというし、まぁ昔からそういう国なのだ。私の顔写真は何度もとってるし、指紋は全部の指のぶんとられてるし(何度取られたか数えてもないほど)、親兄弟の名前と生年月日と現住所も全部送ったし、どう考えても日本政府より米国政府のほうが私のプライバシーを把握している。米国に生まれた米国人に言わせれば「指紋を取るなんて犯罪者扱い」ということだが、入管とはそういうところなのだ。昨年12月(オバマ政権下)にはESTAでのビザ免除入国でSNSのアカウント申請が必要になって記入しなかった場合は別に調査するから許可に時間がかかるという報道が出てたし、つまり今の状況は別に今始まったわけではない。昔からそうで、しかし大きなニュースにならないようなやり方をしていただけ。

つまり逆に考えれば、今回こんなに突然に「ニュースになる」ように、「混乱と反発を引き起こす」ように物事を進めているということに、特別な意図があると考えるべきではないかと思う。粛清人事をしたいのか、極端なことをしてから比較的マイルドな本命の何かを通したいのか、反対派の分断を図りたかったのか(Women's marchでけっこう失敗したかと思うが)。とりあえず「アメリカはそんな国ではなかった」というのは端的に間違いで、これまでもそんな国でしたよ、ということ。日本の入管の無慈悲さに比べたらそれでも寛容なほう。しかし、だからこそ反対の声を上げていくことがむしろ非常に重要だろうと思う。おそらく狙いは、こういった極端な状況に慣れさせていくこと。「前のに比べてコレはマシ」と言い始めたら危ない、と感じるこの1週間である。

朝から雪がちらつく

久々に研究所に登校。Katieはひどい風邪を引いたらしくてものすごい咳をしている。今日はとりあえず博物館見学の記録を忘れないうちにまとめたのだが、途中からしんどくなってきてずいぶん時間がかかってしまった。この資料も紀要投稿用にまとめないといけないし、学会の報告は作らないといけないし、2月締め切りの英語共著論文はあるし、色々厳しい。と思うとストレスがたまってしんどくなってしまう。

夜は踊りのお稽古。久々の月曜日。新しい振りをやって脳がいい感じに混乱する。でもやっぱりストレスたまってたみたいで、帰ってからふとしたことでまた腰痛になりかけてしまった。怒るといかんなあ。かるくホットワインとパンとチーズ食べて就寝。

雲多かったような

昨夜は遅かったこともあって、午前中は布団の中でネットしたりして寝倒していたが、さすがに昼前になって起き出して軽くお茶を飲み、パソコンでたまっていたメール私語とを片づけた。ドイツにも連絡しないといけないし、日本にも色々連絡しないといけない。写真の整理も行う。あとで、日曜なのに結局仕事してしまった、と思った。夜からはスカイプ会議で、英語の論文執筆について相談。前にやった翻訳に関して誤訳なども色々指摘があったりなど。いやだなあ、あんだけやってもまだ誤訳がある。結局遅くまでいろいろ作業して就寝。

やっぱりこっちは寒い

とりあえず爆睡して起きて、まずは冷蔵庫にあったようなものを軽く食べ(お茶とパンなど)、シャワーを浴びて髪を洗ってから買い出しへ。スーパーでチーズやベーコン、レタスなどを買ってかえってから、もう一度出直して今日のパーティに持ち込む飲み物をゲット。帰ってからはたまっていた洗濯をこなしつつ、荷物の片づけとメールの返事など。

15時くらいに車でピックアップしてもらって、今日はDina夫婦に招待してもらって旧正月こと春節のパーティ! 着くなりまずはDinaの料理のアシスタントということで、中国系マレーシア人と台湾人と3人で餃子をつつむ。Dinaは北京出身、夫のNickはユダヤ人ということで、食事は中国の縁起物のお皿を除けば基本的にコーシェルということだった。ベジタリアングルテン不耐の人もいたので、お皿にはingredientを書いたメモをすべて貼り付けた(メモづくりも私の仕事!)。Nickのご両親には初めてお会いしたが、なるほど年配のユダヤ人夫婦という雰囲気だった。Nickや彼のユダヤ人友達のScottみたいな雰囲気はきっとかなり若いジェネレーションということなのかもしれない。そういえばNickは自分の祖父母は物凄い人種差別主義者だった、と言ってたしなあ…(でも思えば私の祖父母はもちろん親世代だってそうだ)。

パーティにはいろんな人が来ていた。私はなぜか中国人の女子1名に中東出身だと思われれてたっぽい(笑)。なぜなのか。Dinaのお料理はおいしすぎて、正真正銘食べ過ぎて苦しいほどだった。いろんな人といろんなおしゃべり。Nickとは日本における男尊女卑の話になったが、しょうじきお酒飲んでる状態で込み入った話をするのは語彙の引き出し的に苦しい。そんでもって自分が全然言語化できない(できていない)色々な物事があって、それをうまいニュアンスで伝えるのがあまりにも難しかった。そもそも私にもわからないことが多い。なぜ日本では従順な女性が好まれるのか。女性がリーダーシップをとることが嫌われるのかメイドカフェを老若男女が楽しんで消費するのはなぜなのか、若い女性を性的に消費することをなぜ誰も本気では否定しないのか(答えようがなかった、「それが日本のcultureです」でよいのか?)。なぜ日本の大学教員の女性比率が2割を切るのか(これはひいてはなぜ東大や京大の女子学生比率が上がらず、博士課程まで行ってもジョブマーケットまで生き残らないのかという問いになると思うが…)。とりあえず海外に来て色んな人に会って思うのは、米国でも欧州でもambitiousな女性にいくらでも出会うということである。日本で出会う確率よりも格段に高い。それとも私は日本の女性を知らなすぎるということ? でも男女ともにambitiousな人を嫌うのが日本のcultureじゃない?とも思うし…。

というわけで遅くまでちょっと難しい会話もしつつ辞去。Dina & Nick, ありがとう! Nickとはまたホッケー見に行かねば。

今日も快晴

本日移動日。ナシュビルも今日で最後。ゆっくり寝て、朝食をとってラゲージをあずけて歩いて出立。朝にメッセージで後輩のMちゃんからホットチキンをお勧めされたので、まずはそこでランチすることにした。もともとバスに乗っていこうと思ってたけど、途中まで行ったらバスは少ないわ以外と歩けそうだわで結局歩いてしまった。ヴァンダーベルト大学付近のチキン屋さん。行ってみたら11時半なのにすでに行列で驚く。プレートを頼んだ。チキンタイとコールスローとポテトサラダ。スパイシー度はマイルドで。ちょっとスパイシーなフライドチキンという感じで、ジューシーで美味しかった。またてくてく歩いてダウンタウンまで。ライマン公会堂を見学。結局3日間色々まわってやっとこの町の音楽事情が分かってきたような気がする。ライマン公会堂は20年前にリストアされて、歴史がありつつ綺麗になっていた。思ったよりも小さかった。テレビとかで見ると大きく見えるので不思議。パンダの写真などを撮る。

お茶しようかとも思ったけど時間がないのでホテルに戻り、シャトルをキャッチ。空港へ。セキュリティの待機列がかなり長かった。調査終了ということでカクテルを飲み、それからカフェラテとパウンドケーキを食して、なぜか(逆方向の)アトランタで乗り換え。タイムゾーンの事を忘れていて思ったより乗り換え時間は短く済んでミネアポリス便に乗る。ミネアポリスについたら11時頃で、しかもなかなか電車がなく、ようやく帰り着いたら12時前。軽くシャワーだけ浴びてさっさと寝る。

風が冷たい!

今日は朝からNさんにミュージシャンの殿堂に連れて行ってもらった。行ってすぐ、はっきりと、この財団にはお金がないということが分かった。展示の仕方でわかる。Nさんの知識はさすがで、私の知らない様々な人のことを色々教えてもらった。中になぜかグラミーの殿堂があり、こちらはローランドの寄付かしらん、めちゃめちゃお金がかかった展示(というか体験コーナー)がふんだんに用意されていて(でもめっちゃ人が少なかった!)、経済力の差を思い知った。展示の最後ごろでわかったのだが、ミュージシャンの殿堂のほうは数年前に洪水にあって展示品もダメージをうけたらしい。そらお金もないわな、という感じ。無理もない。係員も非常に少なかった。

昼前にいったん別れて、私はあらためてダウンタウンに歩いて出かけ、軽くサンドイッチを食べてからジョニー・キャッシュ博物館へ。当たり前だがひたすらジョニー・キャッシュであった。こんな人生を送った人なのかー、というイメージがとらえられてよかったけど、かなりアクが強い人だったんだろうなあと思う。さすがにコピーライトの問題がクリアになる博物館はふんだんになんでも使えてよいなあと感じた。

2009年に来たときに最後に立ち寄ったアイスクリーム屋さんに行ってみたら、場所が移転していた。が、ちゃんと営業していたのでそこでテネシーファッジというアイスクリームを食べる。美味しかった。体は冷えたけど。

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いったん宿に戻って休憩し、夜はNさんとディナー。イーストナシュビルにある、野菜がおいしいというおしゃれなお店。ここが「ほんまにアメリカ!?」と思うような繊細なお味で、めっちゃ美味しかった♪ カリフラワーとザクロのサラダ、ターニップのソテー、デーツのベーコン巻、人参のグリル、タコのポケ(お米がアラレみたいな食感)、デザートにブリオッシュドーナツ(酸味と苦みがさわやかなストロベリーとたぶんグレープルーツのジャム添え)。カモミルティーも抜群。NさんのD論の話をしながら、おいしいおいしいと楽しくいただきました。ごちそうさまでした!