今年は思い返せば、かなりたくさん旅をした年、そして余白が見つからないくらい忙しい年だった。2025年の主な出来事は以下の通り。
・インタビューシリーズ(通年) 2か月に一回、シニア研究者にインタビューシリーズを行った。だいぶ当時の解像度が上がってきた。
・家族で高知旅行(3月) 家族4人で列車に乗って初めて高知に行き、長男のクラスメイト一家とも遊んだ。高知はとてもいいところで、子どもたちも満喫していた。
・万博(4月・6月) 仕事柄いちおう行かねばなるまいと4月に、それからGと一緒に6月に万博訪問した。アルトゥルさんに会った。
・家族で秋田へ(5月) Gの調査地である秋田へ初めて家族で同行した。山菜が美味しくてびっくりしたし、男鹿半島を案内してもらって楽しかった。
・祖父百寿(6月) 子どもたちを連れてお祝いに行った。出張でパーティには参加できなかったが、内祝いの手配も手伝わせてもらえて良かった。
・ニュージーランド出張(6-7月) コングレスでダニーデンに行った。役員になった。南十字星や野生のペンギンを見た。
・母方祖母他界(8月) 可愛がってくれた母方祖母がお盆明けに他界した。直前まで飲食もし、自分のベッドで、祖父の横での穏やかな旅立ちだった。皆びっくりしたけど、祖父の診断では老衰であった。祖母の湯かんを手伝ってお別れした。
・福岡・新潟出張(9月) シンポは謎だったけれど、福岡では旧交をあたためられたし、新潟ではマリンピア日本海に立ち寄ったりして楽しかった。
・フォーラム登壇(10月) 日学の講堂で初めて喋った。これをきっかけにシンポ登壇の打診が来るというすごい経験をした。
・家族で鳥羽旅行(12月) 一泊二日で鳥羽に行った。水族館でラッコやジュゴンやダイオウグソクムシを見たり、船に乗ったり、特急しまかぜに乗って楽しんだ。
「できるだけ落ち着いて生活する」が今年の目標だったわけだが、思い返してもなんでこんなに忙しかったのかわからない。まともに家や研究室を片付けるとか、趣味の本を読むとか、ゆっくり家事するとか、そういう余裕のある期間がまるでなかった。これほど色々断ったのに、こんなに時間がないとは思わなかった。普通は閑散期というのがあって、そういう時期にそういうのに取り組むはずが、閑散期に皺寄せを戻すことのないまま一年が過ぎたという感覚である。おそらくは、2か月に一回インタビューシリーズをしていてその準備を事実上私だけがやっていたこと、去年からの流れでやむなく引き受けたリレー講義が思っていたより重かったこと、謎のシンポ登壇があったこと、国際会議関連のあれこれ仕事が(日本側は)四半世紀前を思わせるようなペースでめちゃ時間がかかったことあたりが要因ではないかと思う。油断すると子どもがほったらかしになるので週末や夜はできるだけ相手したいし、そうすると余計に時間がない。とにかく健康を維持するために睡眠だけはとっていて、それで余計に時間がないのだが、これを削ると体調崩して耳鳴りがするし…。どうにもならない。来年は今よりもっと断るべきなんだろうと思う。話は雨のように降ってくるので。
睡眠以外には、どうにかこうにかフラメンコのレッスンには続けて行っていた。しかし、これもお月謝を消化できない月が複数出るレベルだった。ともあれ、バタデコーラとマントンで踊るのは体力がついてよかったと思う。踊りがなければひたすら頭を使うばかりで、まったくリセットできなかった気がする。
あと、頑張って思いかえせば、今年初めてということは色々あった。子連れで学会にいくこと、国際団体の役員を引き受けること、バタデコーラをスペインにオーダーすること、南十字星をみたこと、マンモグラフィ検査を受けたこと、衆議院議員会館を訪問すること、川でのガーネットパンニング、理系研究者とのと共同研究、日学講堂での発表、テレビ番組の監修、新聞の取材を受けて記事に載ること、ゼミ卒業生の結婚式招待、あと子連れで友達の家を訪問することなど。ただ、これまでやってきたことの延長にないようなことは少なかったので、なにかしらそういうことを来年は一つはやりたい。
来年は、母校で高額な講座に登壇したり、おそらくはYouTubeで対談したりする予定。共同研究も進めたい。来年こそ、祖父への聞き取りをまとめて出版したいし、止めている翻訳の仕事もスタートさせたい。あとは、すでに家族で台湾に行く予定があって、出張としては仙台、群馬、神戸が控えている。4月にはバタデコーラとマントンで発表会に出る予定もある。来年も事故や病気にあわずに済むように、家族が元気にすごせるように、幸運を願いながらベストを尽くしたい。仕事は厳選していきたい。来年の目標は「生活を大切にする」ということにする。皆さん、来年もどうぞよろしくお願いいたします。