結局雨ふらなかった

なんと今日から9月である。昨夜は割とよく寝たのに、起きたタイミングが悪くて眠かった。Kは4時間半、3時間半と夜半からはまとめて寝るのであるが、薬のタイミングなどがあるのでなかなか難しい。今日は午前中は若干まったりしつつ、服の整理をしたり、洗濯をしたりしていた。そろそろダイエットを考えないと着る服がなくてまずい。昼食には豚肉と茄子の炒め物を作り、午後は買い出しに出た。そうしたら、スタジオの事務Y木さんとばったり! 子どもちゃんが入院してたってどういうこと!?みたいな立ち話をするなど。帰ってからも炊事や家事。

兵庫県に住むGの両親がKに会いに来たいということで、Gのお兄さんに車を出してもらって9月に来ればよいのではないか、という話をしていたのだが、お兄さんの都合がつかなくなったらしい。人込みを避けるため新幹線を使って来ることを考えているが夫に大反対されている、会いにいっていいかどうか率直な気持ちを聞かせてほしい、というメールがGのお母さんからやってきた。…というか、疫病が終息する見通しが立たず、いつになったら安全に会えるのかは誰にもわからないわけで、会っていいとか悪いとかは究極的には私が判断することではない(つまり、本人たちとKの疾病については結局当人たちしか責任を持てない)と考えざるを得ないと思うのだが。とりあえず返事しないわけにはいかないので、まあ、それならば阪急を使って普通に来ればいいのではないか、しかし万一の感染時を考えて大学病院に行く前の週は避けてほしい(なぜならば大学病院に迷惑はかけられないため)という旨のシンプルな返事をかえした。たぶん非常にそっけないと思われたのではないかと想像するが、これは仕方ない。おそらくは義母が期待しているのであろう、ウェットな返事は私には書けない。この件について私に明らかな「気持ち」などというものは無い。つまりはこれは人生観の問題であるから(人生において何を優先するか、どのように生きてどのようなリスクをとってどのように死ぬか)、人生観に対して簡単に共感する態度をとってみせるというのは無理な相談なのである。できるのは、条件を見定めた上でのすり合わせだけ。この状況下で誰かに何かを許してもらって、無罪放免で何かをするというのは誰にもできないことだろう。必要なのは覚悟である。私が3月からずっと言ってることだけれども。

とはいえ、義理の両親のようなふつうの人達に「覚悟」の話をするのは冷徹に過ぎて、それこそ理解をしてもらえないだろうと思うので、そういう話はメールには書かなかった。我ながら常識を発揮したといえよう。