雲の多めの一日

起きたら腹痛はかなり無くなっていた。早い時間に起きたのでゆるゆる飲み物などを飲むが、けっこう大丈夫そうな感じになりつつある。まあおなかが壊れてはいても痛くなければどうにかなるものである。とりあえず買ったバナナをゆっくり食べて朝食にして、Gが知り合いのMAさんと連絡をとったりなどしつつ、午前中は最後にのこした観光にでかけることにした。午前中は涼しいし、というのもある。キープもあることなので、宿の前からトゥクトゥクに乗ってまずはタートルアンへ。Gが料金交渉してくれるからとっても楽。涼しい市内をびゅーんと走って着いたのはでかい広場と金色の仏塔。これがラオスの象徴ということらしい。金色の中には入れないけれども周りはぐるっと歩ける。

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ひととおり見終わって出るとき、パトカーに先導された黒塗りの高級車の列が、銃を構えた特殊部隊のトラックやら救急車やらを従えてやってきて何事!?と思ったが、あとで知ったところによるとミャンマーの高官が訪問中で午前中名所観光をしていたらしい。びっくりした。

トゥクトゥクのお兄さんには往復で乗せてもらうことになって(そのほうが彼も時間を無駄にしなくて済むということであろう)、次にパトゥーサイふたたび。こんどは上にあるいてのぼる。上がっていくと土産物屋があってちょっとびっくりしたりなど。展望はさすがに素晴らしかった。今日にいたって気づいたのだが、ビエンチャンはあまり遠くが見通せなくて、これは最初は湿気のせいかと思っていたのだが、おそらくは土埃と排気ガスのせいなのでは…。とにかく北部の山手のほうなんかは全然見えない。日本の空気の感じだとたぶんはるかに見えてもいいくらいなんやけどなあ。

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満足して、トゥクトゥクのお兄さんに元の宿まで送ってもらって10万キープ。体がしんどいのでらくちんで良かった。チェックアウトまで宿で休憩して、チェックアウトして荷物を預け、お昼はGの以前からの知り合いMAさんとランチ。ガレットを食べながら音楽の話をいろいろと伺う。こちらの笙のお話とか。歌い手のイマジネーションが湧き出るような伴奏がいいというお話とか、大会のお話とか、素材のお話とか。いろいろ面白かった。私はコーラ、二人はビールを飲みながらだいぶゆっくり話して、GがMAさんの息子さんたちに会いたいということになって、お宅にお邪魔することに。またトゥクトゥクに乗ってご自宅にお邪魔し、ラオス人の奥様と義理の妹さん、5歳の長男さん、5か月の次男さん(二人とも目がくりくり)にお会いした。床のござに座って、おうちにあった三線やらこちらの笙やらでいろんな曲を演奏してもらい、長男さんはいたずらしながら手拍子し(そのリズム感のすごいこと)、義妹さんの作ってくださった鶏軟骨のから揚げなんかをつまませてもらったりして、楽しいひと時を過ごした。夕方に辞去して市の中心部に戻り、土産物屋さんで土産を物色し、カフェで一休みして、空港行きのバスに乗ったらなんと京都市バスの車体で大興奮! これは5号で使われていた後ろから段を上がって乗る車体。数年前に引退になって、時代かなあと思いつつさびしい思いをしていたのだが、こんなところで装いを新たに活躍していたとは! 懐かしい人に再会したような嬉しい気持ちになった。

空港ではGは食事をし、私は残りのバナナを食べ、荷物を整理して預け、セキュリティとイミグレーションを通ったのだが、荷物(実はGの)の中の電池がひっかかってもう一度チェックインカウンターに戻り、ゲートに帰ってくるというひと悶着。なんとかお手洗いで身支度を整え(汗をふいたりなど)、ソウル行きの飛行機に搭乗。相変わらず狭いジンエア。しかも今回は隣の席もしっかりと埋まっていた。気絶するように寝てしまう。