シカゴ初日

今日からシカゴ3日間。夜中の2時半に目覚めてなかなか眠れず、やっと1時間くらいうとうとして5時すぎに起床。結局荷物はリュックとバッグ。6時過ぎに出立して、7時頃に空港に到着。預けるものも何もないのでそのままセキュリティを通過し、ゲートで待機。しかし、何があったのか、オーバーブッキングで14人くらいボランティアを探しているとか地上職員が言い出す。700ドルくらいのクーポンがもらえるというので申し出てみたが、結局オーバーブッキングというのは間違いで全員乗れた。いったい何だったのか。1時間半ほどのフライトだったが、眠かったので気を失うように爆睡した。シカゴのミッドウェイ空港に到着。この空港は国内線だけの小さな空港。電車に乗って市街地に向う。30分ほど。素晴らしい青空で日差しがつよい。おなかがすいたのでまずは腹ごしらえすることにして、ルーズベルト駅で降りて、Umaiという店にカツカレーを食べに行った。ついでにハウスサラダも頼む。カレーはデフォルトで大盛だったけど、久々のとんかつ、そしてカレーがおいしかった。サラダもうまかったし満足まんぞく! それからグラントパークまで歩いて行って、大きなバッキンガム噴水と真っ青な湖水を見る。物凄く気持ちがいい。

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8年ぶりにThe Beanも見た。前に来たときは雪をかぶっていたけれども、さすがに今回は綺麗だ。でもすごい人。あとで聞いたところによると先週はずっとだだ曇りだったそうで、陽気に誘われて皆が出て来たのだろうということだった。

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3時にRiver Hotelにチェックインして一服し、4時半くらいまでにRoniが来るというので水を買いに行ったりなどして待機。ホテル前で再会した。2009年の5月末にオースティンで会って以来。ちょうど8年ぶり。Roniは結婚して去年出産して市民権を取って、ちょっとふくらしていたが、表情豊かで優し気でのんびりした感じのところは全然変わっていなかった。Roniはイラク人で、イラク系の建築士の夫と一緒にシカゴで建築の仕事をしている。特に高層建築。サウスループでプロジェクトを4つだとか。とりあえず夜の建築をみるボートツアーに参加することにして、バスツアーはあまり魅力がないし、時間までぶらぶら散歩することにした。Navy Pierまで歩いていく。このところどうしていたかとか、家族がみなアメリカに移住してきたとか、街のさまざまな高層建築の特徴とか(あれは断熱に失敗したやつとか、自分の勤めてる建築会社の社長がやる気まんまんでシカゴやらNYやらミネアポリスで新しいプロジェクトを始めてるとか、こっちはユニットを組むことにしてコストと労力カットになったものとか、あの金色のトップに上るには年一回のオープンハウスだとか、コーンビルディングのパーキングに入れるには危ないから専門のスタッフがいるとか、ショアラインに高層ビル建てることはできないはずだけど砂とか岩とか入れてショアじゃないということにして建てたビルがこれだとか)、シカゴでは観覧車が象徴だとか、イラクでもコメをよく食べるとか、特別な食べものはブドウの葉をまいたやつだとか、とめどもなく話した。Roniは薄着だったので途中でジャケットを買ったりなど。Roniは2008年にアメリカに来てからイラクには帰っていないそうだ。娘もいるし、危険だし、そんなリスクはおかせないと言っていた。あるとき、註米イラク大使だか誰だかと話していて(いつも驚くのが日本以外の奨学生は本当に大使とネットワークがあることが多いこと。私、駐米日本大使とか会ったことないけど。駐日アメリカ大使とか秘書官とかは会ったことあるけどなあ)、市民権取ってどうだと聞かれて「いやあ素晴らしいですよ」と言ったら「しばらくイラクに帰らないほうがいいよ」と言われ「?」と思っていたらその人のFBアカウントがクローズになり、ほどなくしてISISへの攻撃がはじまり、ほとぼりがさめたらまたオープンになったのだとか(つまり、イラクに帰らない方がいいのはなぜかというと…という話)。ふおおそんなことあるのか、と思った。イラクは北部は「まだ安全なほう」らしいけど、これも相対的にという話なので何とも言えない。あと、シリアからの奨学生には2年ほど前に、希望者全員にグリーンカードが支給されたそうだ。帰国するのは危ないからという理由で。これはあんまりオープンに報道されてないらしいけど、手違いでRoniのところにメールが来て知ったのだといっていた。そうするとAhmedもグリーンカードを得てNYで元気にやっているのだろうか。地元アレッポが壊滅になって心を痛めているのは間違いないだろうけれども…。Roniからは、湾岸戦争が始まった日のことも聞いた。学校が休みになって、それを知らずに登校しようとして、「戦争が始まったから帰りなさい」といって空っぽの通りを帰ろうとしたら、変な男につけられそうになって怖かった、という話だった。その日はクレイジーで、街に爆弾も落ちたし、夜に家の前が赤く光ってお母さんが半狂乱になって「爆弾だ! 逃げないと!」てなったら、お父さんが(珍しく)バックで車庫入れしようとしていたところだった、とか。イランイラク戦争湾岸戦争のあいだの1年間だけは本当にイラク国内も経済が反映して、Roniのお父さんも彼女の旦那さんの一家もびっくりするくらい、どう使っていいかわからないくらいの沢山のお金をもうけて物凄いことになった、と言っていた。イラクには原油があるし交通の要衝だから戦争をしなければ国民は豊かになる、なのに戦争ばかりだった、豊かになるには平和が一番、ということだった。外国の経済のことは国家レベルでしか聞くことがないので、戦間期イラクがそうだったというのは少し驚きだった。思えば、Roniはバグダードに生まれ、物ごころついてから成人するまでずっと戦争続きなのだった。私の祖父母が平和が一番、と言っていたという話をすると、戦争を知っていればそりゃそうだ、と言っていた。夕食は橋のちかくでハンバーガーを食べた。面白そうだったのでキムチとかいうやつにしたら、本当に少しキムチが入っていて、なかなか美味しかった。

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夜の建築ボートツアーは本当に素晴らしくて、ガイドさんは各ビルについて物凄い知識をひっきりなしに披露するし、夜景は綺麗だし、大満足! これからの都市計画(南側の開発など)についても話してくれて本当に充実の内容だった。これから5年10年でもっと変わるんだろうなあ。充実しすぎて英語とか内容にちょっとついていけないほどだった。

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シカゴでは夏のあいだは火曜と土曜に湖で花火があがるらしく、最後はそれで締めだった。ホテルでRoniが旦那さんの車を待ち、ミネアポリスかシカゴか日本か、どこかでの再会を誓って別れた。元気でね! 夜半近かったので、シャワーを浴びてぐったり就寝。