曇り時々晴れ

朝ゆっくり目にして正解。朝食を食べ、支度して、11時過ぎにへレリがやってきた。天気は曇り気味だが晴れ間もありつつ、まずはちょっと歩いて階段を上って、教会を目指す。12時からのオルガンミニコンサートを聞こうという寸法。歩きながら、おじいさんの代ではソ連の関係で、思想的に危ないと思われてタリンに住めなかったとか、シベリア送りになった人がいたとかそういう話を聞く。コンサートが終わったころ、ちょうど雨が降りかけていたが、まぁまぁ大丈夫そうだったので歩いて、ショッピングセンターの中のカフェで昼食にサーモンアボカドサラダをいただいた。これが何故がもたれて、後で不思議だった。炭酸水を飲んだせい?

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ともかく、食後は海洋博物館へ。いろんなボートやヨットがあったり(アイスセーリング用のも!)、戦車があったり。そして潜水艦ふたたび!(ハワイ以来!) 今度の潜水艦は、アメリカ製だけどソ連時代にも使われていたので、アメリカの部品にキリル文字の表示が出ていたりしてかなり興味深かった。パールハーバーにあったものより中は広かったような気がする。

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特別展は海難救護。これが大切なのは、フィンランド湾の年間平均海水温が何と8度(!)だからだとか。8度の水を触れるコーナーがあったが、冷たすぎ。これは死ぬ。しかもフィンランドなどと船の行き来が多いそうで、海難があると大変なのだそうだ。そんなこんなで、エストニアの海岸ではロケット花火は禁止らしい。海難の知らせと混乱するからだそうだ。バーチャルリアリティで氷の上を歩けるコーナーもあった。ちなみにソ連時代には逃亡禁止のために海岸線へのアクセスも禁止されていたのだそうだ。ソ連のことを何も知らんのだな、と我ながら実感する。

博物館内のカフェでエスプレッソを飲み、エストニアのサウナの話などでもりあがり、旧市街に戻って土産物屋さんを見ることにした。へレリが言うには、マトリョーシカはもちろん琥珀などもみなロシア系の土産物だそうで、エストニアのものはそうではない!とのこと。へレリお勧めのお土産物屋さんを回った。1軒目では木製のコースターを入手。2軒目(ホテルの近く)では織物のポーチとがま口をゲットした。それからお勧めのチョコレート屋さんでGのためにチョコを買った。その辺で夕方になってきたので、へレリの車に乗り、オープンエアミュージアムに行って、エストニア伝統の小屋というのを外から眺めた。これがどう見ても日本のかやぶきにそっくり。

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へレリに茅葺の写真を見せたら「似てるね」と言ってた。めちゃ似てる。しかもこの海に向って日が落ちていく様が、私の地元にめっちゃ似てる。こっちのがずっと寒いけど。「地元に似てるわ!」と言ったら「ホームシックにさせてごめんね!」と言われた(笑)。

夕食はへレリが予約してくれたお店で、海辺で眺めのよいNOAというレストランだった。タリン近郊でも評判が非常にいいらしい。メニューはエスニックというか、しょっちゅう変わるらしいのだが、何か日本風みたいな感じもあった。とりあえずGOMAのキャベツサラダはひじょーにおいしかったし(胡麻の風味)、おさかなのフライは天ぷら?とか言われたけどまあフライで、これも美味しかった。タコも食べられて満足。デザートはローストバナナにラベンダーのバニラアイス。これも本当に美味。窓からは、湾の向こうのタリン旧市街と新市街がのぞめる。素晴らしい眺め。

http://www.noaresto.ee/en/noa-restaurant#avaleht

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最後にホワイトティーを頼んで、結局19時にお店に入ってから23時まで話し込んだ。日本とエストニアの現状とか、海外の結婚式に行った話とか、日本人の寿命の話、シベリアのことはなかなか映画などにならないという話とか。へレリは昨今の欧州の難民受け入れ問題についてはかなり難しいのではないかという考えをもっていた。というのも、エストニア国内の残留ロシア人問題がかなり深刻だからだそうで、その土地の人じゃない人たちが大量にやってきた場合の社会的摩擦や、国家としてどうやってアイデンティティを保っていくのかという問題が難しくなるはずだ、という見方。議論したのが、例えば本当に北方領土が日本に返還されたときどうなるのかという問題。北方領土にはもう何十年もそこに住んでいるロシア人の皆さんがいるはずで、それはまさしく1990年代にソ連からの独立を果たしたエストニアが現在直面している問題である。ラトビアもそうだ。ロシア人を国民として認めるか認めないか、大きな議論がある。民族とは、国家とは、ということと、人間の移動の自由ということを考えると、色々なことが対立していて非常に難しい。

途中、彼女の知り合いのメディアの人が我々を見つけて挨拶に来た。赤いジャケットがお洒落なおじさまだったが、あとで聞くとEesti Ekspressというエストニアの新聞を含む2紙のオーナーで、電子機器会社も持ってるスゴい人だった。Hans Luik氏。握手して話して、ぜひテレビ塔に行きなさい!みたいなことを言われ、もう昨日行ったんですよね~みたいに写真を見せて盛り上がった。タリン近郊の人間ネットワークの狭さには驚かされる。まあへレリがネットワークの重要なノードという可能性はあるけど。

帰るころには星空だった。へレリがくだらない日本イメージの動画とか見せてくれて笑ったりしながら帰路。ホテルまで送ってくれて、車の中で別れを惜しんだ。See you on FBとか言って。またどこかで会えればいいけれど。でもとにかく、会いに来てよかった。学ぶことも多かった。また会える日まで、お互いに元気で。

明日は出立なので、パッキングして就寝。