雷なりつつ

今日は奈良に住む祖父母宅を訪ねる日。キャリーバッグを転がしながら一路奈良まで。暑かったが風があったのでマシだった。とりあえず扇風機をかけて祖父とアイスもなかなどを食べる。昼食は祖母特製のシチューと、ステーキ、畑でとれた野菜のサラダ! お肉おいしい! 祖父母ももりもりお肉を食べるのであった。祖父は90歳になったが、畑仕事もしているのでしっかり筋肉もあってすごい。デザートはすいか。

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終わってから、裏の山にブルーベリーを取りに行ったりもしたが、雷が鳴ってきたので早めに退散。

祖父からいろんな話を聞いた。昭和19年に医学部学部長をしていた解剖学教授の船岡省吾先生の話。船岡先生は解剖学の授業で解剖学とは関係のない話もするらしい。試験にあたって、先輩に聞いたら前の年は、心臓の話をしてから「今言った話は教科書に書いてあり、諸君らも学んでわかっていると思うので、それ以外のことを書け」というものだったらしい。祖父の年は「遺伝の解剖学的要請」というテーマで試験が出たそうな。試験官の助教授が試験問題を読み上げ、「『答案は今日明日中に出せばよろしい』と書いてあるが、せめて今日中に出しなさい(汗)」と言っていたとか。諸君らには試験の「答案」は期待していない、と言うのらしい。「通り一遍の、読んで学べるようなことはもう当然頭にはいっとるやろう、ちゅうことやな!」と祖父は言う。紙はいくらでも使ってよろしい、というのが先生の指示。戦争中なので、わら半紙でも紙は高価で、それをいくらでもつかっていいのか、と感心したそうだが、これにはオチがついている。友人の妹が先生の娘と同級で、そのお嬢さんに聞いた話では船岡先生は答案の裏紙を計算用紙に使っていたそうな。紙が高価な時代で計算用紙もおいそれとなかった時に、答案にいくらでも紙をつかっていいとはそういうことか!と思ったらしい。祖父の同級生の藤原君の答案を見た、という証言があったそうな。船岡先生は、顔の筋肉の話をしたときに、熊野神社の人相占いを引き合いに出し、諸君らは熊野学派ではなく吉田学派になってもらいたい、とか煙をまいておられたり、なかなか面白い方だったようである。カルシウム剤の結核薬を開発したり、何やら本も出しておられたそうだ。

バウムクーヘンでお茶をいただいて、辞去。また遊びに来るからね!

帰宅してからさっそくスイカを切って冷蔵庫で冷やす。やっぱり夏はスイカ。