曇りときどき晴れ

朝からいちごのヨーグルトかけを食して出立。今日は奈良の祖父母宅へ向かう。電車内ではレポートの添削をした。

ついて、まずは叔父の墓参り。最近お墓を整理して綺麗にし、叔父の墓を建てたときいたので、墓参りするのが今回の主目的であった。いとこ二人とお墓に入りっぱなしになっていた花を片付け、雑草を抜いて掃除。雨がふったので花がくさって悪臭であったが、線香のかおりですべて消えるのはさすが!であった(笑)。あるいて帰宅。途中のガレージ横には、紫陽花がきれいに咲いていた。

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昼食は叔母特製のローストビーフ。再来週の月曜が祖父90歳の誕生日、ということなのだが、祖父母いわく大体そういうお祝いをしたら死ぬからいらん、ということらしい(笑)。別にめでたいこともない、というので、まぁ誕生日なんて1歳でも3歳でも15歳でもめでたいんやし、90歳でもめでたいやん、ということにしておいた。お肉をもりもり頂き、祖父と一緒にカリフォルニアの赤ワインを少々飲む。つけあわせは人参のグラッセとポテトサラダ。うまーい。思えば、流石に祖父母も年なので、年いったなあ、という感じはする。でも元気に会えて、一緒にもりもりお肉食べたり、畑を見に行ったりすることもできるというのは、本当にありがたいことである。

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祖父母と色々話をする。祖父がむかし尾鷲にキス釣りに行った話。エビでタイが釣れなかった話。紀州の曾祖母と奈良の曾祖母は二人とも鼻がきかず、食べ物の好みが似ていたという話。紀州の曾祖母は貧血で鶏レバーをたべていたという話。

祖父とニュース談義がてら、臓器移植についても話す。祖父は、海外渡航しての小児心臓移植には反対とのこと。生体肝移植や腎移植であれば、切っても増えたり、もともと2つあるから許容できるが、心臓は人間にはたった一つしかない。それを移植して別の人の命を長らえるということはどうなのか、しかも小児の場合、その先もそれで良くなるするわけでもなくずっと免疫抑制剤が必要なうえに色々な治療を受け続けなければならないということを考えると、あれはいかんのではないか、脳死もそうだが死体でも、その体を切りさいて臓器を提供すべきというのは違うのではないか、という意見。大人で、自分でずっとそういう意思を示し続けて周りも納得させていたような人(珍しいと思うが、という意味のことを言っていたが)でないと、あかんのではないかと言っていた。一つしかない臓器を移植することでの、本人の同一性の問題もあると考えているようでもあった。ただ、そういうことを言うと循環器学会では異端とみなされるだろうということであった。これは死生観などもふくむ社会的な問題であって、医学の問題ではない、とも言っていた。祖母は、ドナーの親の心理を考えると、あとあとずっと響いてくると思うので、自分は反対であるという意見であった。ちなみに私は個人的には、そもそも人間は死ぬものという考えが強くあることもあり、本人の意思を確認できない小児からの移植、あと生前の本人の強い意思提示のない脳死移植にはもともと反対の姿勢である。海外への臓器移植ツアーは当該国での移植順位にも関わるので、問題が大きいと思っている。

祖父は1960年代に米国に留学し、人工心臓の世界的パイオニアたち(後にテルモ社長になった人とか国際人工臓器学会会長になった人とか)と一緒にいたという経緯もあり、人工臓器研究についてはそれはもう50年以上色々思うところもあっただろうと思う。

数日前、子供用人工補助心臓仙蔵販売承認のニュースがあり(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150612-00050136-yom-sci)、そのなかで患者さんの母親が「早く承認されるのはうれしいが、人工心臓はあくまで命をつなぐためのもの。心臓移植がもっと理解され、普及してほしい」と仰っておられたそうだが、そもそも人工心臓が最終的にめざすべきところは心臓移植を不要とするような装置であって、心臓移植自体が最終解決ではない、ということは、生死の境を前にしたお嬢さんを持つお母さんはともかく、一般の市民にはもっと共有されてもよいのではないか、とは思う。

昔のハワイ旅行やカナダ旅行の思い出話もする。思い出話ができるトピックがあるのはよいことだ。祖父の好物の鮎菓子を持って行ったら喜んでもらえてよかった。私といとこと祖母はチーズケーキを頂いた。これもうまかった。残り物のローストビーフ、それから畑のたまねぎ、茄子などを貰って帰洛。叔母に、祖父のお誕生日を記念したお食事会を企画しようと提案を受け、相談をしたりなど。

帰宅してから、洗濯し、ローストビーフを食べ、ゆっくり風呂につかるなど。