映画「イミテーション・ゲーム」の感想

映画「イミテーション・ゲーム」に関するコメント(専門的・ネタバレあり)を以下に記しておく。

そもそも映画というのは脚色されているのであり、史実とのつきあわせは(現にこの映画の脚本家が言うように)そぐわない、あるいは無粋とも言えるかもしれない。とはいえ、歴史家としては一般の人がどれほど映画をそのまま信じがちか、ということを考えると、あんまり無視もできないし、実際のところずっとこういったことを調べてきた人間からすると気になることも色々あるので、コメントしておこうと思う。

 まず、明白に史実に合わないと思われる点が3つ。

1. カンパーバッチがキーラ・ナイトレイに、エニグマ解読用の機械について「digital computer」(字幕はなぜか電子計算機)と述べ、Universal Turing Machine(万能チューリング機械)に関連付けた説明をするシーンがあるが、これは端的に間違い。第一に、エニグマ解読用の機械は、そもそもデジタルではなく、アナログで総当たりをするもの。第二に、1941年時点でdigitalという言葉はまだ使われていないはず(私の知る限りでは、1945年前後にGeorge Stibitzが使ったのが最初ではないかという説がけっこう有力。まだ確かめきってない)。第三に、「computer」は1945年くらいまでは、人間の計算係のことを意味し、計算機のことは意味しない。ついでに言うと、この機械は電気機械式であって、電子管は使っていないので、電子計算機ではない。……ていうか、なんでここでチューリングマシンのことに言及する必要があるのか皆目わからない。言及する必要ないのでは? ちなみにデジタルで暗号解読をする機械(汎用ではない)は英国で作られていたが、それはチューリングとは別のチームの仕事である(そもそも英国が解こうとしていた暗号はエニグマだけではない。ドイツの他の暗号もあるし、日本の暗号もある)

2. 映画の最後で、カンパーバッチ演じるチューリングの自宅に計算機っぽいものが置いてある件について。チューリングが作っていたのはマンチェスター大学であって、自宅にはないはず。根拠は色々あるが、そもそもそんな話きいたことないというのを除けば、第一に重い、第二に電気がかなり必要で普通の自宅に置くようなものではない(今のサーバーの感覚では無理)、第三に暑い。チューリングは、外部で実用化された計算機にも色々関わっていて(実際写真も残っている)のであるから、自宅であんなちまちましたものを守る必要は全然なかったはず。

3. 最後の字幕。一瞬でしか読めなかったが、戦時中の研究がチューリングマシンの成果を導いた、というのは単純に時系列が逆ではないか。チューリングマシンの論文は1930年代、戦時中研究は1940年代、実際に計算機を作り始めるのが1940年代末から1950年代。

他に気になる点も色々あるが

・あたかもチューリングが一人で機械作りに取り組んでいたかのように見えるのは変。チームの仲間は他にも色々いたし、数学者だけではなくエンジニア、作表機会社も協力していた。加えて、機械での暗号解読に対して周りがみな懐疑的であるという描写があったが、当時はブレッチレーの他の部門は勿論、郵政局関係の部門でも(前述のように)機械を作って解読を試みているチームは色々あった。そういった状況で、機械での暗号解読に周りがあれほど懐疑的というのはどうだろうか。

・ブレッチレーパークでは、チューリングが働いていたHUT8だけでなく(建物にちゃんとHUT8と表札がかかってて「よし!」と思った・笑)、他の部門のことが全然映ってないのは、個人的にはひっかかるポイント。他のHUTの建物、物理的にめっちゃ近いはずなのに。現地行ったことあるけど。映画では明らかに現地ロケをしていてなかなか嬉しかったが、あのパークは綺麗な池もあるし、色々な建物あるし、けっこう広い場所なのである。

・そもそも彼があまりにも孤独に描かれすぎている気がする。映画では一切出てこなかったが、彼にはケンブリッジ大学関係の人脈が色々あり、恩師Newmanも暗号関係で働いていたはずなので、あそこまで完全孤立というのはちょっと変という気がする。やっぱりチューリングのことを描くなら(個人的には)ずーっと彼の世話を焼いていて死後に記事も書いた師匠ニューマンや、弟子ギャンディのことも描いてほしい気分なのである。

・解読のきっかけになるのが、通信文の最初の定型箇所、というのはその通りなのだが、機械が出来あがって動かしてみるまでそのことに気付かなかった、というのは極めてあり得なさそうな事態。なぜならば、そういった箇所(クリブと呼ぶ)の検討は、伝統的な頻度分析による暗号解読でも基本の基本であって、仮にも暗号解読に何ヶ月も何年も携わってきた人たちがあんな感じの気付き方するなんて、まずあり得ないからである。

・ちなみに、解読にあたっては最初にちらっと出てきた「ポーランドの情報部員が手に入れた実機」および(映画には確か出てこなかった)初期機の解読結果というのが極めて重要であり、ポーランドの貢献は断じて無視すべきではないクラスのものである。

・研究者コミュニティの中では、ソ連スパイの件は脚色だとか、リーダーのヒューは初めからフレンドリーにやってたはずだとか、色々なツッコミが出ている。

・ちなみに、チューリングは暗号解読だけではなく秘匿通信の研究もしていて、戦時中に危険をおかして米国に出張している。

チューリングが自宅に化学実験の道具を置いていたというのは実話。同性愛が発覚する経緯もほぼ実話通り。

クロスワードパズルで求人したというのも、たしか実話。

チューリングに女性の婚約者がいて、断るときに同性愛の話をしたというのも確か実話。ただ、心理の動きがあのようなものだったかどうかは知らない(脚色されすぎかなという印象があるが、調べれば原作者ホッジスも似たような感想を抱いているらしい)。ちなみにその元婚約者は、後年に映像インタビューに応えているので、そのインタビューを思い返しての印象である。

チューリングは本当はけっこう冗談好きのはず。チューリングテスト(模倣ゲーム)の論文も、半分ネタのつもりで書いて、くすくす笑いながら周囲に読み聞かせをしたというエピソードを読んだことがある。

・クリストファーが死ぬのって、大学進学が決まってからじゃなかったかな、と思う(けど、わざわざ調べる気力は今ない)。

・あのラストだと、チューリングが打ちひしがれて廃人のようになって死んだように見えてしまうけど、実際はホルモン治療終わってから非常に有名になる論文をちゃんと書いているわけで、その辺はどうなのだろう、と思う。だから実の母親は「あれは自殺ではない」と力説していたわけだし。それにしても、最初に青酸カリが出てきたのが、後で全然効いてこないのはいったいどういうことか。チューリングは青酸カリ中毒で死に、傍らにはかじりかけのリンゴ。それが自殺なのか、他殺なのか、事故なのか、というのが、長年の争点であった。このことを知っている人には脳内補完できる描写だったのだが、この映画で初めて知る人には青酸カリが何の伏線になってるのかさっぱり分からないはず。

・結局この映画って、英国の懺悔映画なのかな、という気がせんでもない。戦勝の功労者を、同性愛犯罪の罪で追い詰めたことに対する懺悔。

・非常に良かったと思ったのは、刑事の尋問で「Can Machines Think?」と尋ねられ、それに対してチューリングが答えるシーン。そもそも模倣ゲームの設定が全然説明されてないという不満や、論文名は"Imitation Game"ではなくて"Computing Machinery and Intelligence"やろ!というつっこみはあるし、細かいところは別にしても、あれはチューリングの物の考え方の雰囲気(哲学的な雰囲気)を非常によく表した答えの内容になっており、わたしとして非常にたいへん満足のいくものであった。あのシーンはとてもよかった。

 

歴史家としては、やっぱりヒーロー物語にしてしまうと見えなくなってしまうものがいろいろあるよね、と言わざるを得ない。何はともあれ、キーラ・ナイトレイは可愛かったのだけど。

一言一句逃さず集中して真剣に見たので、物凄く疲れた映画鑑賞だった。