曇りのち小雨

昨日の余りの鶏肉飯を食べてから出立。余りでも美味しい。

朝から荷造りして一路奈良へ。今日は早めに出て、春日大社の万葉植物園で藤を見てみた。

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春日大社の藤といえば、中学3年生くらいのころ、学級委員6人(私含む)を連れて、当時の理科教師がGWに「遠足の下見」として車で奈良に連れ出してくれたことがあって、そのときに大変美しい藤を見たのであった。それほど明るい思い出のない中学時代の、記憶に残る数少ない一シーンで、しかしそれ以来GW付近に奈良に行く機会もなく、18年ほど過ぎたのであった。藤は香りも色も姿も大好きだ。

昼には引き上げて、非常勤先に歩いて行って授業。今日は少なかった。4人か…。昼の授業は眠いらしい。

授業が終わってから一路祖父母宅へ。祖父のiPadに1963年頃のアメリカ・クリーブランド留学時代の写真が色々入っており(!)、それを見ながらお喋りなど。(後に国立循環器センター副所長・テルモ社長になる人工心臓のパイオニア)阿久津哲造さん宅の裏庭でしょっちゅう集まってバーベキューをした話、前々からアメリカにいらした(後に国際人工臓器学会会長になる)能勢之彦さんに「アメリカではね、警官に逆らってはいかんのですよ! 撃たれますからね!」と言われた話、阿久津さんの最初期の人工心臓ではやはり血液凝固(管に血液がくっついてしまう)のが問題でそれを克服するために拍動のように血圧を上下させればいいのではないかという発想でコンピュータを導入してその波の解析・再現するような研究などをしていたらしいという話、人工腎臓の中元覚さんの話、八木さんの奥さんの出産(?)の話、(人工臓器の父と言われた)ウィレム・コルフ先生の農場の話(阿久津さんはその後ミシシッピでその"ファーム"を真似たとか)、農場内はジープで移動したという話、メイプルファームにも連れて行ってもらったという話、土日にお金のかからない趣味としてゴルフのうちっぱなしばかり楽しんだ話、アパートでの黒人人種差別の話、ユダヤ人オーナーが親切だった話、ニューヨークに高校時代の同期を訪ねて行って彼のボス(薬理学の女性名誉教授)のセントラルパーク横の豪華な邸宅に泊まらせてもらい素晴らしい眺望を楽しんだ話、帰国してから祖父が大阪医大に行くことになった(そして12年も勤めることになった)経緯、(のちに東京医科歯科大の学長をされた)留学時代の知り合い鈴木章夫さんに東京駅でばったり会ってフランクに奥さんの高血圧治療をしてくれないかと頼まれた(笑)話、鈴木さんの奥さんはとっても料理がお上手で単身米国留学していた人たちは「鈴木亭」と呼んで何度も食事をご馳走になった話、鈴木さんの最初期の心臓弁研究では布を使って実験していたという話、(大阪医大の学長をされた)法医学の松本秀雄さんと京都で食事に行ったときに鈴木さんのことを嘆かれた(笑)話、などなど。

本当にほんとうに有名な人が沢山出てきて「色んな人がおったんや」と話してくれたけど、もうみんな殆ど亡くなられたのだった…。「皆はよ死んであかんこっちゃ!」と祖父は言ってたけど、祖父は最近同級生や昔の知人たちがどんどん他界し、先月は息子も他界し、寂しい気持ちになっているに違いなかった。そうはいっても、祖父にはいつまでも「あかんこっちゃ!」と言いながらもっともっとずっと元気でいてもらって、面白い話をもっとたくさん聞かせてほしいものだと思う。幸い祖父には日野原重明さんという分野の大先輩(15歳くらい年上)がいて、その100歳のお祝いにも行ったらしく(流石に「だいぶ上の先輩なのでそんな仲良く喋ったことはない」とは言ってたけど)、まことに何事も先達はあらまほしきものであり、日野原先生くらいには元気で長生きしてほしいと孫としては切望するのであった。もっとおじいちゃんと色々話したい。

夜には10年前のハワイ旅行の思い出を語るなど。皆覚えているポイントが違う。夕食は祖母のシチューとお肉をやいたもの、畑のスナップエンドウとアスパラガス、白ワインとチーズ。叔父が生きていればワインを喜んだだろうにと言いながら飲む。