綺麗な晴れ

朝から荷造りして登校。書類関係のことを片付けたり、振り込みをしたり色々。昼から会議。前の会議が長引いたらしく、後の会議をヘンな場所ですることになったりなど。15時に早退して、新大阪に出て新幹線に乗り、一路東京へ。夕方から東京アメリカンセンターで会合。今日が最終回。二等書記官のジェニファーの話が印象的だった。両親の話とか離婚の話とか。

女性でキャリアの人の話を聞くと(実は私自身がそうなのだが)、その時々で後に後悔を残さないように思い切って決断をせよ、いつ死んでも悔いのないように生きよ、と言う人がけっこういる。私自身がそういう考えなので、もちろん賛成するのだけれども、でもそのように自分にconfidentに生きられない人、あとあとのことをどうしようか考えずにいられない人のほうが世の中多いのではないか。そうだとすると、キャリアのためにはconfidentに生きよといくら言ったところで、状況の改善にはならないのかもしれない。

ほかには、特に私の場合、おっさんだらけの会議で発言したり、煽ったりバカにしたりしてるような発言に平然と言いかえすのが本当に平気のへいざで、それを苦痛に思ったこともあまりないのだが、多くの女性キャリア(とくに女性大学教員)はそういったことを苦手にしているらしい、ということを最近実感している。要するに、社会的にマウンティングしてくる男性にカウンターをぶちかませるかどうかという話なのだが、ぶちかませない人のほうが多いらしい。聞くと、「感じ悪く思われたくない」「無礼になりたくない」「女性らしさを失いたくない」ということらしい。気持ちはわかるし、そうするとそういう人に「平然と言い返したら解決しますよ」みたいなことを言っても、解決策にならない。とりあえず、自分が組織の中で平然と言いかえせる人材であるということの意義はあるだろうけど、自分の属する組織外までは影響力を及ぼしようもない。一方で、自分がそれほどにもレアなパーソナリティしているというのは、畢竟たぶん私には何かどこかのレセプターが欠損しているということではないかとも少し思う。他人のことを、本質的には心底どうでもいい、そして自分はいつ死んでもいいと思っているので、どう思われようがどうでもいい、そのせいで何でも素直に発言できるということ。要は日常的に捨て身であるということであって、周りの人に捨て身になれとはやはり言えない。