台風きた

やっぱり薬を飲まないとよく眠れない。というより前の日に薬を飲んだ反動で眠れないのか。朝方、同期にずっと言おうと思っていて言わなかった事をついに言うという夢を見た。あまりにリアルだったので、起きて目覚めてから夢だったことに気付いて呆然だった。あんなによく考えて決心したのは何だったのか。

今日は、ちょうどお昼に学部時代の同期のAちゃんが出張ついでに京都に寄ってくれたので、一緒にランチした。職場での人間関係やら、仕事のことやら、健康状態やら、共通の知人の消息やらについて話す。3時間以上話してしまった。楽しかった。帰りに大丸に寄って服買った。

帰宅してから携帯に着信があったことに気付き、折り返し電話。大学の後輩からだった。彼女は学部生なのだが、就活がうまくいかず(という表現もちょっと微妙なのだが)もう1年がんばる、という話だった。しかし主旨はそこではなく、面接で言われてしまったことにどう対応すればいいだろうか、というのが本題であった。彼女は某省を目指していて、ほぼ最終まで行ったらしいのだが、けっきょく雰囲気に合わなさそうということで落とされたらしい。落ちたこと自体は彼女のアピール不足の問題などもある(と本人が言うし、それはたぶん正しい)ので、そこは対処が考えられるのだが、問題は女性の面接官に言われた感想である。いわく「華奢」「折れそう」「タフじゃなさそう」。確かに彼女はほっそりして色白で、表情優しくて髪なんかも柔らかい感じで、口調も比較的おっとりしている。しかし、実際は行動力もあれば根性もあるし、仕事の能力は高い。それは私は彼女からあるプロジェクトの相談に乗ったことがあるので知っている。彼女は「アピールが足りないというのはそうだっただろうと思う。そこは変えられる。でも根本的な容姿とか雰囲気とかキャラとか、そういった部分はおいそれと変えられない。そこがダメだと言われてしまったが、どうすればいいというのか」と悩んでいた。容姿によって根性やら能力やらのアピールが難しくなることがあるというのは確かに事実だろう。しかし「華奢」やら「折れそう」やらというのは容姿そのものに対する感想であって、彼女の(応対から推し量られる)能力に対する感想ではないのではないか。心の中で何を考えようと勝手だが、面接でそんなことを発言していいのか。仮にも国家公務員が。後輩は他にも色々思うところがある様子だった。彼女のキャリア志向があまり周囲に理解されない、というのが主旨だったように思う。

いったいどんだけマッチョ社会やねんとか、日本どれだけ周回遅れやねんとか、男女共同参画なんぞチャンチャラおかしいわとか、TEDでFacebookCOOのシェリル・サンドバーグが言ってたことに通じるなとか、色々言いたいことはあるのだが、この話の何がおそろしいと言って「見た目の可愛らしい女性には能力も根性もない」「女性は『男性化』しないとキャリアは目指せない」というステレオタイプな通念がこれほどにも流布してるということだ。なぜ「華奢」ではダメなのか。なぜ「強さ」をアピールしないとキャリアを目指せないのか。これまで受け入れられてきたのであろう「マッチョ文化」にこっちが無理繰り合わせる義務がどこにあるというのか(しかもよりによって官公庁で)。

それにしても「容姿と中身」パッケージの罪深さよ。元をたどれば例えば「ブロンド女性はバカ」というような言説(妄言)に代表される伝統的な見方であるが、容姿や雰囲気なんていじるにも限度がある。本人にも言ったが、彼女はたぶんこれからも似たようなことをずっと言われ続けるだろう。私がずっと「女王様」「高飛車」と言われ続けてきたように。彼女はそれと戦い続けなければならない。まったくもって余計な手間だが。ステレオタイプから外れるというだけでこれほど手間だ。とくに日本では。

…おそらくは、私がこうやって憤慨するだろうことを分かっていて、彼女は電話をかけてきたんだろうなあ。私もこの立場になってつくづく実感しているが、はっきりいって日本で女性がキャリア志向でも、誰もなかなか共感してくれないし励ましてくれない。日本ではなかなか他人を励まさない。「できるよ」「やれるよ」とは言ってくれない。彼女は励ましが欲しかったんではないか。難しいなんて本人が一番分かってるんだから、どうせなら「めげずに突撃したれ!」とか煽られたいことだってあると思う。少なくとも私はそうだし、私は同期の皆に励まされてやっとのことでここまで来られた。

 

 

憤るのもこの辺にするが(ていうか、彼女はそんなしょーもない人のいる職場に就職せんでたぶん正解)、この話をきいて私が思ったのは、自分が思いのほかロールモデル的になりつつあるということだ。これはやばい。私はもっと修養を積まねばならない。

もうひとつは、私はたぶんもっと色んな服を着て日常の教壇に立ったほうがよいかもということ。かっちりしたスーツだけじゃなくて、可愛いひらっひらの服着てみたり、アメカジ着てみたり、髪型だって色々試すべきなのかもしれない。教壇では私はいつも自分の知性を(苦心惨憺しつつ)開陳しているわけだが、「知性」と「雰囲気」の関係なさというのをもっと大学でアピールすべきなのかも。あさっての方向という気もするし、むしろTPOが大事という意見もあると思うけども。まぁどうせ若い女性が「科学技術」云々を教えてるというだけで学生には「ギャップ」なのだから、そのギャップをのばしてやったところで悪くはあるまい。どうせ何着て行ったって(行事式典でさえなきゃ)文句は言われへんのやからねえ。